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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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瞳に、吸い込まれてしまいそうな心の奥まで見透かされてしまいそうな落ち着きをたっぷりと湛えるその憂いを秘めた黒曜石のような瞳に惹かれた。
涼やかな落ち着きを宿した瞳が、月英をとらえた瞬間、甘苦いものが、胸を突くほどのときめきを生んだ。

 
 ※
 

「月英と申します。父の命により劉備さまのお力になるべく参じました」
 
噛まずに言えた。まずそう思った。幾度も幾度も練習してきた言葉。
 
「おお!よく来てくれた。ご助力感謝する」
 
徳と義を大切にするという嬉しそうな劉備玄徳のその言葉に胸を一瞬撫で下ろすが、その隣にいる男性の視線に月英はキュッと胸が締め付けられる。
 
――この人に会いたくてここまで来たのだから。
 
胸の奥でこそりと甘く疼くもの。
ずっと大切に抱きしめてきた想いをぎゅっと胸でなだめるようにおさえて、
 
「いえ、助力はこの此度の務めを果たすまで。それ以後のことはご容赦いただきたいと存じます」
 
と、劉備とその男――諸葛亮孔明を見つめる。
 
「承知しました。ここでいろいろ見聞きして、ご自身で判断なさるといいでしょう」
 
涼しげな落ち着きを宿した孔明の目が、月英をとらえ、初めて自分に投げかけられた言葉に月英の胸が震えた。
 
 ※
 
はじめて会った――見かけたのは父の友人の水鏡こと司馬徽の学問所だった。
水鏡から書を借りていた。
その書に書かれたいたことに月英はとても感動し、貸してくれた水鏡に直接礼と感想を言いたくて、屋敷の者のすきを見て、馬で学問所までやってきた。
水鏡もこの程度がすぎ過ぎているお転婆の友人の娘をとても可愛がっていた。
突如連れもなしに現れた月英に驚きつつも両の目をとろけそうなほどに細めてにっこりと笑う。
 
「また抜け出してきたのかい?困った娘だ」
 
だって、と言葉をつなげようとした月英の目にその人が映った。
まずは黒髪に目がいった。その人はゆっくりと振り返り、その視界に月英が入っているはずなのに、まるで机や書架と同じように何でもないように月英を見る。
目が合ったと思ったのに、その男はそんな素振りは見せず、
 
「先生、私はこれで失礼します」

と水鏡に言う。それに水鏡が「おぉ、そうか」と答えると、するりと月英の脇をすり抜ける。
月英は一瞬時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
そして、その瞳に胸が震えたのを感じた。甘苦しく、きゅん、と震えた・・・。
 
(これは何?)
 
その姿が見えなくなると、
 
「今の人は誰?」
 
月英の問いかけに水鏡は、かすかな驚きを目に浮かべた。
 
「諸葛亮孔明という者だ。皆は臥龍と呼んでいる」
「臥龍・・・」
 
月英の呟きに、水鏡は孔明の消えた扉を見つめた。






それから――。

この甘く苦しく胸を疼くものが、恋であることを月英は本能で感じた。
けれど、孔明に自分を知ってもらいたいとか、この気持ちを孔明に知って欲しいとか、そういう風には思わなかった。
気持ちを知られるのが恥ずかしかった。
水鏡から時折聞く孔明の話から、彼はそういう感情に流されたりしない人だと思ったから。
水鏡の開く学問所の中で一番の秀才で、もう教えることなどないが、ときおり書を借りにやってくるのだという。
幼くして両親を亡くし、叔父に引き取られるがその叔父もすぐに争いに巻き込まれ死亡すると弟妹を抱えながら流浪し、今は農を営む傍ら勉学を続けており、苦労した経験からかとても冷静沈着で何事にも動じないという。
だから、そんな孔明に、彼を想う気持ちを知られるのが怖かった。

知られたらそんな恋情に揺れる自分は嫌われるのではないかと思った。

彼は自分のことなぞ知らないけれど、そう思うと怖かった。
それに、彼のような人に自分は似合わない。
赤い髪を指に絡ませながら、ため息を吐く。
もう気にしていないつもりだった赤い髪に昔はとても劣等感を持っていた。
どうして自分だけ髪が赤いのだろうと悩んだり、とても嫌な思いもしたが、自分が気にすればするほど父母を苦しめるのだと気付いてから考えるのをやめた。
やめたつもりだったのに、孔明の漆黒の髪を思い出すと、切なくなる。
彼の隣には、同じような漆黒の澄んだ白い肌を持つ女性が似合う。
間違っても自分ではない。
赤髪の醜女といわれる自分では絶対にない。

けれどせめて一度だけ彼の視界に入って、一言でいい言葉を交わしてみたいと願う気持ちは止められない。

そんな想いを胸に秘め、屋敷を抜け出しては孔明の住むという草廬近くへわざわざ遠乗りに出かけたりもした。

数度すれ違うことはあっても彼の視界に自分は映っていない。
 


 
ある時、孔明が乞われ、月英たちの住む荊州の牧、劉表の客将である劉備の元へ仕えることになったと知った。それを知った月英は、そうですか、片頬を揺らしただけだった。
孔明の才が世に出る時がきたのだと水鏡は喜ぶ気持ちもあったが、娘のように可愛がってきた月英の気持ちにも気付いており、できたらその気持ちを成就させてやりたかったと思った。
かつて、月英さえよければ孔明に縁付けてやろうと持ちかけたことがあったが、意外にも月英が嫌がった。
最初はただ照れているだけかと思った。
けれど、かたくななまでに嫌がる月英に、彼女の心の傷を思い胸が痛んだ。

月英が年頃を迎えた頃、荊州の豪族との間に縁談の話があった。
年頃も似合うふたりであったが、その相手の男よりも月英は何事も勝っていた。それがまだ年若い男には耐えられなかったのか、月英の赤髪を理由に断ってきたのだ。
その破談に尾びれ背びれがつき、いつの間にか黄家のひとり娘は赤髪の醜女ということになってしまった。

それから、月英は今まで以上に武術の稽古に励むようになった。
元々は身を守るために習わせたものを月英は好んで取り組んでいたが、破談以降それまで以上に熱心になった。元々着飾るよりも発明や武術を好むちょっと風変わりな娘であった。
けれど、破談が月英の心に傷を作ったことは確かだった。
装いをこらすことや異性になど興味も示さず、良家の子女として気取ることもなく、屋敷を抜け出してはうろうろして両親を困らせばかりいたが、そんな彼女の行動の中に女性らしくすることを捨てたようなどこか自暴自棄なところを感じ、そんな彼女が初めて覚えたであろう淡い初恋を、水鏡は叶えてやりたかったと後悔するのだった。



 ※

孔明が劉備に仕えて数ヶ月。
月英は屋敷の中で大人しくしていたが、今まで屋敷を抜け出さないでくれと怒ってばかりいた侍女たちがすっかり大人しくなった月英を今度はとても心配してしまうのだった。
気晴らしに遠乗りでも、といわれても気分が乗らないが、侍女たちを心配させてばかりいるのも申し訳なく、馬を走らせて水鏡のところへと向かった。

あらあら、まぁ、と水鏡の妻が困ったように、けれど、笑いながら月英を迎える。
突然現れる月英に慣れているのだ。

「ちょうど今、お父様もいらしてるのよ。ちょっと待ってね。今日偶然月英の好きな果物をいただいたのよ。今、用意するからね」

水鏡の妻に誘われて、屋敷の中に入ると話し声が聞こえてきた。来客は父―黄承彦がきているということは、ここに来たことがばれると怒られるかもしれないと心配しつつ、ふたりが難しい話をしている様子をさほど気にもせずいたが、

「では、孔明たちは」

という水鏡の言葉に心臓が高鳴った。
思わずいけないと分かっているでも盗み聞きをしてしまう。
月英?と水鏡の妻が突然足を止めて、徐々に顔色を青くする月英を心配そうに覗き込んでくるのに我に返り月英は、そっと歩を進め、水鏡の来客が父であることは分かっているから、だから、迷わずその部屋の戸をあけると、

「お願い、行かせて!」

と懇願する。突如現れた月英にふたりは驚いた。
 
荊州の牧、劉表の病が重くなり、後継者争いに乗じて、時の覇者である曹操が進撃してきたが、それを劉備軍が孔明の采配により博望披で打ち破ったことまでは月英も知っていた。
孔明の活躍を耳にして、とても嬉しかった。
けれど、今話されていたことは知らなかった。きっと月英の耳に入らないように父が屋敷の者に言いつけていたのだろう。
博望披の戦いの大敗に曹操は五十万の大軍を荊州へと差し向けているのだという。
そして、どうやら劉表は亡くなり、その跡を継いだ劉琮は、曹操に降伏したが、すぐに殺されたというのだ。この荊州は曹操の手に落ち劉備軍は劉備が後見人となっている劉表の長男、劉掎を頼り、江夏へと落ちることを決めたが、急な撤退であるにもかかわらず、劉備を慕い従う10万近い人民が付き従ったため、移動がままならない状況が続いているという。
月英が屋敷でうだうだしていた時間に世情が着々と変化していたのだ。
 
その劉備軍の助けに行きたいという月英に、父も水鏡から娘の気持ちを聞いており、だから、耳に入れたくなかったのだと心底思った。
娘が言い出すことは分かっていたから。
彼女の性格を熟知している父と水鏡は止めても無駄だと分かっており、だから、今回限りという条件をつけて許したのだった。



 
そして、月英は今回限り。

この戦い後、自らの孔明の気持ちも捨てよう、そう心に決めてきたのだ。
実るはずのない、この気持ちを抱えていくのは辛すぎる――。
 
 




 ※


劉備軍はどうにか江夏へと落ちのびた。
そろそろ戻らなくては、月英はぼんやりとそう考えながら歩いていると、民と楽しそうに話す劉備の姿を見つけた。
本当に民に慕われている人だと思った。
だから、孔明も彼に仕える気になったのだろう。
孔明が支え、劉備が作り出していく世とはどういうものなのだろうか。
自分はそれを遠くから見守るしかできないのだと胸が締め付けられたとき、背後に影を感じて
 
「ここにおられましたか」
 
という声に振り返ると孔明が立っていた。急いで頭を下げる。
 
「この此度の戦、あなたのお陰で切り抜けられました。感謝します」
 
あの黒い瞳に自分が映っているのかと思うだけで月英は鼓動が高まる。
息が止まるかと思うほどだ。
 
「民をご覧になっていたのですか?」
「はい・・・。」

数瞬、目が合った。急いで顔をそらし

「劉備さまの目指す世とは如何なるものなのですか?」
 
尋ねる声が震える。
彼の目に自分が不自然に映っていないか、そんな心配が胸によぎる。
 
「殿が成さんとしているのは、人が安らかに生きられる世・・・。つまり、あのような光景が日常に溢れている世です」
「みんなが笑っている・・・」
 
呟いて劉備と民を見つめた後、孔明の視線を感じ、急いで頭を下げると、その場を足早に離れる。
 



耐え切れなくなった。

あの黒い瞳に見られることに耐えられなくなった。
緊張して息ができなくなりそうだった。

せめて一度だけ彼の視界に入って、一言でいい言葉を交わしてみたいと願う気持ちがあったというのにいざふたりきりで話すとなると耐え切れなくなった。
彼のあの黒い瞳に、自分のような赤毛の女がどう映るのだろうかと思うと怖くなった。
自意識過剰だとは分かっている。
彼は何も思わないだろう。何も思ってくれないだろう。
もう捨てると決めた気持ちなのに、いやだいやだと泣くもうひとりの浅ましい女が心の中にいる。
そんな自分が嫌になった。
早足で孔明の傍を離れて、行き着いた先にあった木の影に座り込んだ。
膝頭に頭を伏せて、膝を抱えて泣いた。
 
 
しばらくして気配に顔を上げると劉備が立っていた。
驚きつつも急いで立ち上がり手を合わせて頭を下げる。
 
「この度は誠に世話になった。ありがとう」
「そんな・・・」
「孔明が何か言ったのか?」
「えっ?」
「ふたりが話しているのが見えた後、泣いているのを見かけたから・・・」
「いえ、軍師殿は何も・・・、私は、あの・・・」
 
頬を染めて戸惑う月英を劉備は、ながめまわした後、
 
「孔明に惚れたか?」
 
と、すっ・・・と真顔で問いかけてくる。
それに頬だけではなく全身を染め上げるのではないかというぐらい赤くなり俯いてしまった月英に、劉備は返事を聞かずとも月英の気持ちが分かった。
戦いの折は、凛々しく立ち回り、戦などの話をしても名論卓説だった月英の、純情すぎるともいえるその恥じらいに女性らしい愛らしさを見出し、劉備の口の端に自然とやさしい笑みが浮かぶ。
 
「今回限りという約束だったな」
「は・・い」
 
月英の声が掠れていた。惚れた相手にすぐに会えなくなることを嘆いたのだろうと思った。
 
「そなたの父上は確か・・・」
「黄承彦と申します」
 
劉表の客将として荊州にいた折、荊州の豪族や名士などの名は大体覚えこんでいた。
月英の父である黄承彦も名だけは知っており、かの有名な水鏡こと司馬徽と親しくしているという。水鏡といえば、孔明はその門下である。もしや・・・、と劉備は思った。
 
「孔明のことは以前から知っていたのか?」
 
劉備の優しい問いかけに月英は小さく、はい、と答えた後、顔を上げて、
 
「でも、もう、孔明さまへの気持ちは捨てるつもりでここに参りましたから、その・・・、孔明様には絶対に・・・」
「捨てる?なぜ?」
「・・・、あの・・・ご・・・迷惑なだけですから」
「自分を想う女性の気持ちを迷惑などと思う男ではないぞ、孔明は」
「でも、私がだめなのです。以前から一度お話してみたいと思っていたのに、いざ話しかけられると緊張で息をするのも忘れて、その・・・、窒息してしまいそうでした」
 
思わずクッと劉備が笑いを洩らした。それに月英はますます俯いてしまう。
笑ったことをすまないと素直に謝り、改めて、月英を劉備は見つめる。
 
赤い髪が肩からこぼれるだけで、その唇が小さく吐息するだけで、その細い体が動くだけで、それだけで、甘い粒子がきらきらと舞い立ち、生きる気力が溢れているように思える。

そして、わずかに話しただけで零れ落ちてくる孔明への思慕が、劉備には好ましく映った。
 
「月英」
 
名を呼ばれて、彼女が顔を上げる。頬が染まったままだ。
 
「今回限りという約束ではあったが、今はまだ帰すことはできない」
「えっ?」
「荊州は曹操の手に渡ったままであるし、そなたは曹操軍に姿を見られている。みすみす危険と分かっていて帰すことなどできない」
 
人材好きで女好きの曹操にとって月英はきっと興味を持つ対象となるだろうと劉備は口には出さないが思っていた。だから、しばらくは引き止めておこうと思い月英の後を探して声をかけたら、彼女は泣いていたのだ。
 
「父上にはどうにかこちらから連絡を取るから、しばらくは我が軍と行動をともにして欲しい」
「――承知しました・・・」
「孔明の前でも呼吸できるようになるさ」
「そ、それは・・・」
 
劉備は、月英の慌てぶりを愛おし気な微笑みの中見つめた。


 

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