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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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意識を取り戻すことは多々あったが、今回はいつもとは違った。
あれから、孔明の体は脈拍が落ち着き、短い時間だったが、意識がある時間が増えた。
けれど、口がきけるまでにも体を起こせるようになるのも時間がかかった。
その間は奇妙なまでに静かな日々だった。
けれど、どこか幸福な時間だった。
言葉を交わさずとも、互いの気持ちは分かったし、ただ寄り添って時間を過ごす。
孔明は上半身が起こせるようになった頃から、渋い顔をする均を通しながらも仕事の状況などの把握にも努めだし、
 
「結局、仕事中毒なのですね」
 
少し不機嫌そうなそう言う月英に、軽く頬を揺らして、「すみません」と苦笑交じりに言うと、月英はほんの少し驚いたように瞳を揺らしたが、すぐにくすくすと笑みに変えた。
その笑みに安心して均から持ってきたもらった書簡に目を通しているとしばらくして、門のあたりが騒がしくなった気配に月英が立ち上がり様子を見に行き戻ってくると、月英の傍らに劉備の姿があった。
 
「もう起き上がってよいのか?」
 
そう問う劉備に孔明は静かに頷く。
 
「ええ、懐かしい人たちと会うのは、まだ少し先になりそうです」
「当たり前だ!そなたとは、新しい天下をともに歩むと約束をしたのだからな」
 
劉備の言葉を孔明はかすかに口の端に笑みを浮かべて受け取る。
それを見て月英は、ふたりの絆は深く、それは妻であっても決して立ち入ることの出来ない領域なのだと再確認した気分になった。
孔明が逆臣との風評を悲しんだ劉備と、自分の風評など構わないから王道をすすめといった孔明。
結果、孔明が倒れたとしてもそれを責める気にはなれない。
水魚といわれたふたり。きっとこれからもずっと――・・・。
そっと控えめに伏せた睫毛の奥からそっとふたりを交互に見やる。
 
「あれは桃の木か?」
 
劉備が窓の外の木を指差して言う。
ふいに問われた劉備の問いかけに月英は顔を上げて、ええ、と答えて、
 
「あの木は殿がくださったのですよ。私たちが結婚した頃、どこからか見つけてきて植えて行ったではないですか。移植がうまくいくか心配しました」
「あぁ、そうだったかな」
 
思い出したのか、劉備が笑う。
それから、三人で桃の木に絡みつくように輝いた陽射しを見つめていたが、孔明は瞼を細めた。
 
「もうじき、桃の花が咲きそうですね・・・」
「ああ、春が来る。そなたにも見てもらいたい。あの私が、義兄弟たちと見た、美しい桃の花を」
 
そう言う劉備の目がどこか遠くを見ている様子で細める。
その言葉の持つ意味をそっと咀嚼し、胸の中に静かに受け止める。
それから、急に思い出したのか、
 
「あぁ、そういえば、尚香が嬉しいことがあるはずだから聞いてこいと言っていたのだが・・・」
 
何のことかさっぱり分からない様子で腕を組みながら、孔明を見下ろした。
それを受けて孔明が、ふっと目元を緩めて、月英を見て
 
「それはきっと月英の中に宿った新しい命のことではないでしょうか?」
 
と言うと、しばらくの間の後に、劉備の驚いた声が部屋に響いた。劉備は月英に向き直すと、膝まつかんとばかりの勢いで月英の腹部を見てくるのに慌てて、月英が頭を上げるように言う。
 
「孔明の子供か」
「私以外の誰の子供だというのですか」
「それもそうだな」
 
さも嬉しそうにハハハと笑うと、
 
「生まれてくるのは?」
「初夏の頃ということです」
 
月英がそう言うと、一瞬劉備が真面目な顔つきになって、
 
「つまりは月英、そなたの妊娠は、五丈原の戦い以前からということか?」
「――・・・それは・・・、誰にも黙っていましたからばれないかと思って・・・」
「でも、孔明は気付いていたから戦に出すことを渋っていたのか・・・」
「――・・・はい」
「趙雲に殴られた時、転んでいたが大丈夫だったのか?」
「ええ、それは大丈夫でした」
「良かった。知らなかったとはいえ」
 
ふたりのやりとりを黙って聞いていた孔明だったが、
 
「殴られた?」
 
と、ぽつりと言うと劉備が孔明を振り返って、まずいことを言ったとばかりに誤魔化すように笑った。
 
 

 ※
 

改めて身重の体で戦場に出たと殿に叱られました、と劉備を見送りに行っていた月英がそう言って戻ってきた。それから、
 
「孔明さま」
 
寝台で上半身を起こしていた孔明の脇に座りながら月英は夫を呼ぶ。
孔明は言葉ではなく月英を見つめて応じる。
 
「どうして気付いたのですか?その・・・」
「子供のことですか?」
 
月英はこくんと小さく頷く。
 
「単純に月のものがない様子だったからです」
「ど、どうして孔明さまがそれを気付くのですか?その、孔明さまに今までだって言ったことないのに」
「言われなくても自然と分かるようになります。夫ですから」
「――・・・」
 
腑に落ちないのか月英は唇をつんと尖らせる。
 
「それにあなたは初日が辛いようなのですぐに分かりましたよ。共寝もしてくれなくなる」
「こ、孔明さま!」
「別に恥ずかしがることではないでしょう」
 
真っ赤に染めた頬を両手で覆いながら睨んでくる月英に、孔明は口の端に笑みを浮かべると、そっと手を伸ばして、月英の腹部に触れる。
 
「初夏ですか」
「ええ」
「そうなると、執務室の時の子供ですかね」
「えっ?」
「覚えていないはずないでしょう?」
 
ますます頬を紅潮させる月英に、どこまで赤くなるのだろうと思うと、孔明は喉を鳴らすようにくくっと笑う。
それに月英は怒ったように孔明に背を向けて座り直す。
そんな月英の肩に手を伸ばしかけた時、
 
「子供ができたことに気付いた時、正直嬉しくなかったんです」
 
月英の言葉を、孔明はまっすぐに受け止め、首だけ振り返った彼女の真摯すぎる瞳を、たじろぎもせずに孔明は目に迎え入れると月英は、首を元に戻す。
 
「子供ができたことがばれれば戦場に出してもらえないという焦りとばかりが先走って・・・。戦えない自分などそばにいる価値がないとかそんなことばっかり考えて・・・。ただでさえ、孔明さまが苦しそうな時なのに・・・」
「月英、あなたがそばにいてくれるだけで私には大きな意味があるのですよ。武人だから妻に迎えたのではない。あなただからです。あなたはいつの間にか私の心の中に住み着いていた。それは本当に自然に・・・」
 
月英の体にそっと手を伸ばし、後ろから抱き寄せる。
今の孔明には月英を包むものを何も持っていないから。自分の腕しかないから。
その腕は、月英の肩を包み、それから、彼女の体にそって下ろしていき、その腹部を優しく抱きしめる。
ここに子供が本当にいるのかと不思議に思えた。
 
「でも、なんて素敵で羨ましいことなの、と尚香さまに言われたんです。尚香さまは、政治的な絡みから殿との子供は、諦めていると言ってました。だから、そんなしがらみがない私たちを羨ましいと・・・」
「――・・・」
「そこで初めて子供のことが少し実感できて、勇気をもらった気分になれました」
「きっと強い子でしょうね。すでに戦場に出ている子ですから」
「ええ」
「私の子供を宿してくれてありがとう」
 
その言葉に月英が体の向きを変えて、孔明に首に抱きつく。
月英と彼女の中の命とを、孔明はきつく抱きしめ返す。
孔明の体は以前のように元には戻らないだろう。それは口に出さなくとも互いに分かっていた。
これからは、これ以上弱らないように気をつけて生きていくしかない。
だから、このまだ見ぬ子供の成長をどれほど見続けられるのだろうかという不安が孔明の中にはあるのだけれど、月英と初めて想いを交わしたとき、”今”と呼べる時を、共に生きようと思える女とめぐりあえたのだと感じたことを思い返す。
これからも”今”という時間を重ねて生きていけばいい。月英と子供を三人で。
それがずっと続くように願いながら――。
 
 
抱きしめたつもりが抱きしめられていた。
孔明の胸の中で、彼の鼓動を感じながらそっと瞼を閉じるとふわりと甘い想いが溶けてゆく。
ふたりでいられれば、いや、これからは三人でいられればいい。
時間も、理屈も、意地も、恨みも、憎しみも、惑いも、すっと消えて喜びだけが残るはずだ。
顔を上げると、初めて会った時に惹かれたあの黒曜石の瞳が目の前にある。
心の奥まで見透かされてしまいそうな落ち着きをたっぷりと湛えるその憂いを秘めた黒曜石のような瞳に惹かれた。
涼やかな落ち着きを宿した瞳が、月英をとらえ今でも甘苦いものが、胸を突くほどのときめきを生む。
視線を交差させたまま見つめあう。
それは、ほんの一瞬だったのかもしれないし長い時間だったのかもしれない。
こうしていると時間が溶けた。想いが溶けた。
なにもかもが溶けて、ふたりがひとつになる気がした。
もしかしたら――。
これから本当の夫婦となるかもしれない。そんな気さえする。
それから、吸い寄せられるようにそっと瞼を閉じると、孔明の唇が月英のそれに重ねたのが分かった。
 
趙雲が言った。
 
「今はふたりが繋いだ糸は、きっと切ることができないと思ってます」
 
唇を重ねたまま指を絡ませあう。
誰にも切らせはしない。それが死だとしても最後の最後まで抗い、この手の温もりを守る。
月英は、一生涯この恋にとらわれて生きていくのだと思った。

それはきっと、愛という名の棺に入る、その時まで――。
 
その時まで 守るのだ。

それにここなのだ。この腕の中なのだ。月英の生きる場所はこの腕の傍しかない。
この世の片隅で、同じ場所で孔明と一緒にいられればそれでいい。
孔明のいない世界になど生きたいと思えない。孔明を想えない世界など必要ない。
初めて結ばれたとき、そう思った想いは一生涯変わらない。
だから、これからはそれを守って生きていく。
 


〈終わり〉
 

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