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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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まず、興奮した様子で駆け寄ってきた侍女に驚いて、その侍女が告げた来客の名前に月英は驚きのあまりに軽い悲鳴を上げた。

それは実家に戻って一週間程度した時のことで、その時、月英は庭で武術の稽古をしていた。
実家に戻った時、母はただただ嬉しそうに出迎えて抱きしめてくれたが、父はどこか複雑気に眉を歪ませて、
おかえり、とだけ言った。
そして、なんだか父母が小さくなったような気がした。
その夜はただ家族で夕餉を取り、久しぶりの再会を喜び、そして、
 
「結婚に反対のわけじゃない」
 
父――黄承言が一言だけ言った。
その言葉を月英は受け止め、父を見つめる。何か言葉が続くのかと思ったが、父は口を閉ざしてしまった。それから、話題に出すのをためらわれた。

久しぶりの自分の部屋は何も変わっていなかった。
いつ自分が帰ってもいいようにしてくれていた父母や使用人の心使いに、涙が滲んだ。
懐かしい部屋の懐かしい寝台に身を横たえながら目を閉じるが、眠れない。
上掛けを掴んで、布団の中へともぐりこみ、無理矢理目を閉じるがやはり眠れない。
やがて眠ることを諦めて、明かりを灯して机へと向かうと、しばらく考えてから、静かに筆を取った。
その夜書いた手紙を翌朝出した。成都へ。
あとは、おだやかに日々を過ごした。自分が家を離れていた間に、結婚して子供を産んだかつての侍女が会いに来てくれたり、水鏡に会いにいったりして日々を過ごした。
そして、その日、侍女が頬を紅潮させて興奮した様子で月英に駆け寄ると、
 
「諸葛亮孔明さまがいらっしゃいました。今、旦那さまのお部屋にお通し――」
 
侍女の言葉を最後まで聞かずに月英は走りだしていた。

 
 ※

 
孔明は月英の父の前に頭を垂れた。
突然の来訪と形式的な順序などを整えることもできなかったことや、長く月英を家に帰せなかったことを謝罪し、そして、
 
「月英殿を私にください」
 
と頭を垂れた。
黄承言は、しばらく黙ったまま孔明を見据えた。そして、かなりの時間を要してから、口を開いた。
 
「娘にも言ったが、結婚に反対なわけではない」
 
促されて、孔明は顔を上げて黄承言を見つめる。
 
「ただ、きちんと家から嫁に行って欲しかっただけだ。劉表殿が亡くなり、曹操がせめてきた折りのゴタゴタのまま、家を出たきりだったからな」
「申し訳ありません」
「世情も不安定であったし仕方があるまい。ただ、父として娘が心配だったことだけは分かって欲しい」
「はい」
「ただ誤算だった。――娘を送り出した時、君が娘に興味を持つとは思わなかった。水鏡から君の話は聞いていたし、娘がどんなに惚れても相手にされないものだと思っていた」
「それは――」
 
その時。
遠くから、ひたひたと、ひそかな足音が近づいてくるのに気付いた。
それはやがて、部屋の前でぴたりと止まると、
 
「諸葛亮さま!!」
 
何の前触れもなくいきなり部屋に入ってきた月英に、黄承言と孔明は振り返る。無礼をたしなめようとする父を気にも留めずに月英は、孔明の隣に座り込んだ。
 
「どうしてここに・・・?」
「関羽殿のところに急用があり、その帰りに寄らせてもらいただきました」
「――・・・急用が?」
「それは口実です」
「――成都を離れて大丈夫なのですか?」
「短い期間なら大丈夫です。馬良も均もおります」
「そ・・・うですか」
 
月英、と少し強い声音で呼ばれ、彼女は我に返って肩をすくめて、父に向き直る。
重苦しい空気が一瞬流れた。それに月英は息を呑んで、ちらりと孔明のようすをうかがう。
その娘の様子に黄承言は、ほぉ、とため息をひとつ落とすと、
 
「娘を頼む」
 
そう言い残して、膝をずらして立ち上がると、部屋を後にした。
しばらく、孔明も月英も座したまま動かずにいたが、黄承言の足音が完全に聞こえなくなった頃、
 
「呉の孫権殿や、周瑜殿に謁見した時以上に緊張しました」
 
孔明が口を開いた。それから、月英をじっと見て、
 
「稽古をしていたのですか?」
「はい。体がなまるといけませんから」
「あなたという人は」
 
孔明が苦笑するのを見て、それにつられるように月英も、口の端に軽い笑みを浮かべた。
 
 
 

 
 ※



「――どうしてこんな所に」
 
長くは成都を空けられないという孔明が、すぐに戻るというので、月英も同行を決めた。
ただ一緒にいたかったから。
まだ実家でゆっくりしていても、という孔明に首を振り、腕を掴んで懇願し、その様子に両親も折れるしかなかった。
途中、月英が孔明にひとつだけわがままを聞いてくれと言ったのだ。
孔明と均が暮らした草廬を見たいと。
 
孔明の疑問に月英は、破顔してみせる。
その心の底からの嬉しそうな笑顔に孔明が、触れそうなほどに近づいてそっと手を伸ばすと、月英が猫のような敏捷な動きでその腕の中に飛びついてきた。
その彼女を受け止めて、自分の中へと押し込んでしまうのではないかという強さで孔明は抱きしめる。
しばらく互いのぬくもりを確かめあった後、絡めあっていた腕を、名残惜しそうにほどいた。
額をコツンと合わせて、瞳を見交わす。
 
「ずっと来てみたかったんです。」
「こんな所にですか?」
「だって、ここに諸葛亮さまが暮らしていたのでしょう?」
「ここに住んでいた頃に、あなたが師から出た私との話に素直に頷いてくれていたら、ここで暮せたでしょう」
 
ほんの少し前、水鏡のところへふたりで挨拶に寄った。
嬉しそうに涙を零さんばかりにふたりを祝福し、喜ぶ水鏡から孔明は、縁を取り持ってやろうとしたが断られたという話を聞いてきたのだ。
 
「――、あの頃、水鏡のおじ様に言われたら私を娶りましたか?」
「いいえ」
「ほら、だったら断って良かったんです」
 
ぷいっといじけるように孔明に背を向けた月英の頭を孔明は撫でる。
確かにそうかもしれないと思った。経済的理由など適当にこしらえて、きっと断ったはずだ。
 
「最近まで均が住んでましたし、妹もたまに掃除に来ているようなので思ったより綺麗ですね」
 
孔明が草廬を見渡して言う。
書などは水鏡に預け、家具などもほんの少しだけが残され、白い布がかかっている。
 
「あちらが私の部屋です。今は何もありませんが」
 
その言葉に月英が振り返る。
見てみたい、と顔に書かれており、その素直さに孔明の口の端に笑みが浮かんだ。
月英の手を取り、寝台と机しかないその部屋を入り、楽しそうに狭い部屋をうろうろする月英を見ながら、孔明は寝台に腰掛ける。
ひとしきり部屋を見た月英が振り返るので、手で隣に座るように促すと、一瞬月英が躊躇いを見せた。
 
「どうしました?」
「――あ、急に恥ずかしくなって」
「今さら」
「自分でもそう思います」
 
そう言いながら月英は、孔明と距離を置いて、ちょこんと寝台に腰掛ける。月英に近寄ると、月英が驚いたように孔明を見た。それが子供のようにぽかんとした驚き方で孔明は笑う。
孔明が月英の髪に触れた。
すると、その頭をこつんと肩にもたれかけてきた。
そっと見上げてくる月英の額に唇を寄せる。
唇を離し、ふいに思い出した。
 
「ところで」
「はい?」
「王怜に何を言われたのですか?」
「あ・・・、本当に別段何か言われたわけではないのですよ。朝佳さんのことをほんの少し。それで、ちょっと私が勝手に疑心暗鬼になってしまっただけです」
「王怜は、私を呉に誘ってきました。孫権の命を受けてのことでしょう。兄がきっぱりとそれはないことだと断ったようですから、王怜に話がいったのだと思います」
「そうでしたか」
「姉思いでしたから、あなたにきつく当たったかもしれませんね。すみません」
「諸葛亮さまに謝られることなどありません」
「王怜のひとつ失敗としては、あなたも呉に誘わなかったことがあります。私があなたを残して、呉に行くことなどないのですから」
「諸葛亮さま・・・」
「あと、何がはじめてだったのですか?」
「へぇ!?」
「執務室で言ってたましたよね?まぁ、予想はついてますけど」
「――あの」
「馬超殿にこうされたのでは?」
 
えっ、と声をあげる間すらなく、唇に触れたあたたかいものに月英は驚いた。
孔明の手が、月英の髪をからめ捕り、甘いふるえが、月英の髪から全身に走った。体の力が抜けたようにくたぁと胸に落ちてきたのを支えるように抱きしめ直す。
その無防備なまでに自分に身を預けてくる月英に、鼓動が高まる。
月英がぎゅっと孔明の服を握り締めてくる。そうしないと体を支えられないかのように。
服を掴まれ、その懐にしまいこんでいた文がカサッと音を立てたので、その存在を思い出した。
そうだ、と呟きを落としてから、懐から文を取り出す。
 
「馬超殿がしたことは許せるものではありませんが、あまりいじめないであげてください」
「いじめてなんていませんよ」
「この文は、いじめに近いですよ」
 
意味が分からないとばかりに顔を上げて首を傾げる月英に、文を開いてみせるとみるみる面白いぐらいに耳まで一気に赤く染まった。
月英が馬超に送り、馬超から孔明が受け取った文だ。
 
「どうしてこれを・・・」
「馬超殿がくださいました。私が持っていた方がいいと言って。あまりのろけると彼も可哀想ですよ。特にここなんて――」
「読み上げないでください!!!!」
 
馬超に自分の孔明への想いを正直に伝えた。
利用されているだけでもいい。ただ傍にいられればそれでいいと。

腕から逃れて、文を奪い取ろうとする月英を片手で抑え込む。
 
「月英殿、覚えておいてください」
「え?」
「私は嫉妬深い男ですよ。今も馬超殿に怒りを感じています」
「諸葛亮さまが?なら、どうして今まで、その・・・唇にしてくださらなかったのですか?」
「自分を抑えられなくなるからですよ。今もあなたを抱きたいと思っている」
 
驚いたように顔を上げる月英の顎を右手で掴み、そっと耳の後ろに左手に差し入れると、再び唇を重ねる。ついばむように幾度も幾度もくちづけて、月英の唇がほんの少し開いた隙を見て、舌を差し入れ、彼女の舌を追いかける。びくんと月英は全身を震わせたが、かまわず口腔を犯す。
ゆっくり唇を離すと、どちらのものとも分からない水の糸が2人を繋いで、切れた。
息を切らし、月英の目尻に浮かんでいた涙をくちびるで拭い取る。
 
「――あなたの父上の許可を得るまで手は出さないつもりでした。私も妹を育てましたから、あなたの父上の気持ちがよく分かってましたから」
「えっ?」
「許しを得た今、自分を抑える術が分からない」
 
孔明の言葉に月英は驚きに瞼をぱちりとした後、
 
「・・・諸葛亮さまでも分からないことがあるのですか?」
「月英殿に関しては分からないことばかりです」
「――・・・」
「私は欲深いから、月英殿のことは何でも知りたいと思っている。あなたを不安に陥らせてしまったことは謝ります。これからは、つつみ隠さず話してください」
「は・・・い」
 
月英は、孔明の黒い瞳をじっと見つめる。この瞳に惹かれ、恋焦がれた。
はしたない、そう思ったけれど、月英も自分の気持ちを抑える術が分からなかった。
そっと手を伸ばして、孔明の首に手を巻きつけて、くちづけを乞う。
それに孔明はかすかに驚いたようだったが、すぐに月英の希望を叶えてくれた。
そのまま、そっと体が傾いた。
 
「煽ったのはあなたですよ」
 
そう言われ、言葉ではなくそっと合わせた唇で月英は答えた。かまわない。
とても素直な気持ちで、孔明に身を任せた。
すると、先ほどまで感じていたふわりとした孔明の腕が、今は鎖のように逃さないとばかりに力強くなった。
熱が、欲が、衣服ごしに浸透してくる。
強い意志を感じる腕に、めまいを感じそっと瞼を開くと視線が交差した。

あぁ、逃れられない。

心の中で呟きを落とす。
この黒い瞳から逃れることはできない。きっと一生ずっと。
 
 
 ※

 
つうっ、と月英の太ももに指を這わせる。
肌の色がくっきりと違っているのだ。普段日に焼けない場所はとても白磁のように白く、日に焼けているところは色づいている。
これを知っているのは自分だけだ、そう思うと孔明の口の端が自然に緩む。

月英はよく眠っている。
コトが終わった後、月英は会話の途中にコテンと眠ってしまい孔明を驚かせた。
孔明は、再度月英の太ももの色が違うところ指でなぞる。
月英はくすぐったいのか、ん、と唸り声をあげた。
 
月英の肌をじかに感じたとき、愛しさがこみ上げた。
隙間などないように肌と肌をくっつけ、関節と関節を絡め合わせた。
彼女の体は抱きしめてしまえばとても小さく感じられ、とても柔らかく、容易に腕に収まってしまう。
背にまわしてくる手は孔明に幸福感と安らぎを与える。

溺れてしまいそうだと思った。

この体に。

抜け出すことができない深海に溺れるように、この体に溺れる。

そう思った。
 
 ※
 
すっきりと目が覚めた月英は、一瞬自分のいる場所が分からなくなった。
そして、これが夢なのか現実なのかさえ分からなくなった。
孔明は、身なりを整えに行ってしまっていて、目覚めた時隣にいてくれなかった。
だから、孔明が顔を見せた時、とても驚いて、これはやっぱり夢で、夢の中に迷い込んでしまったのではないかと思った。
そんな月英を孔明は不思議そうに見つめてくる。

「現実?」

小さく呟きを落とす月英に、孔明は微笑を唇に滲ませる。
その笑いを、月英は黙って見つめていたが、やがて、自分の置かれた状況を理解したのか、身を隠すように小さく縮こまると、瞼を閉じる。
そんな彼女を、月英、とその名を呼ぶ。
月英は、心の底に落ちてきた声に、そっと瞼を開くと、視線を交差させる。

夫婦としてのはじめての微笑み。

全身にじわりとあたたかさが染み込んでくる。
そして、思う。
ここなのだ。この腕の中なのだ。月英の生きる場所はこの腕の傍しかない。
この世の片隅で、同じ場所で孔明と一緒にいられればそれでいい。
それでいいの。
孔明のいない世界になど生きたいと思えない。
孔明を想えない世界など必要ない。


 
 
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