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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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――空白。
 
やがて、白濁。
重たく濁った意識の中、ぼんやりと瞼を開くが、視界が濁って何も見えない。
けれど、鼓膜に届く声。
 
「私は知っていた。孔明が-・・・」
「私が趙雲に言って――」
「それは私が彼女のことを」
「この才は惜しい――」
「だから、軍師殿は」
「実際に――」
「けれど」
 
 
遠くに声が聞こえる。
けれど、これは夢とも現ともわからない浅さでゆらゆらする。
 
 
「今話すことじゃない。英・・・、月英殿が目覚めて回復してからでいいはずです」
「私もそう思う。女だからって何なの?女の何がいけないの?」
 
ゆらゆら揺らめく浅い思考の中で、最後の言葉が関平と星彩だということだけは分かった。
顔は熱いのに体が寒くて寒くて仕方がない。体が震える。
額に細い指の感触を感じた。冷たくて気持ちがいい。ほぉと息が洩れる。
それに誘われるようにまたふっと意識が遠のいた。肩の痛みがうずくけど、ただただ眠ってしまいたい。
 
 
思わず悲鳴が出た。
逃れようとするけどぐっと趙雲に腕を抑えられ、月英の脇にいた星彩がそっと手を握ってくれる。目を反らして、医師が傷口から膿のようなものを取り除く痛みに堪えてもうめき声が洩れてしまう。
そんなに長い時間でもないはずだが、その治療中は途方もなく長い時間に感じられる。
歯をくいしばり堪える。
終わりだよ、と医師の声がした時、心の底から安堵の息が出た。それを星彩がくすりと笑う。

「あと、3回ぐらいやればもう大丈夫だろう」
3回も!?」

月英の嫌そうな声に趙雲が喉を鳴らすように笑いながら、月英から離れる。

3回も、と言うが、ここまで放っておいた方が悪い」
「――はい」

医師に言われ、月英はおとなしく頷くと、ずっと月英の手を握っていた星彩が手を離すと、あわらになっていた肩を隠してくれる。

「痛むなら酒を飲めばいいって父上が言ってた」
「それは張飛殿だけにしてくれ」

医師が呆れてた声を出す。
片付けを終え他の兵も診ないと、と医師はそう言って出て行った。趙雲がそれについていくようにも部屋を後にしようとしたので、

「関平はどうしてます?」

と月英は趙雲を呼び止めた。

関平は自分が女だと露呈してから一度も月英に顔を見せてくれていないのだ。騙したことを怒っているのではないかと不安になる。
彼女の不安な気持ちもくみとりながら趙雲は一瞬口の端に軽い笑みを浮かべた後、

「怒ってはいませんよ。ただ動揺しているみたいです。まぁ、彼も若いですから、刺激が強かったのかもしれません」
「へ?」
「そのうち、ひょっこり顔を出しますから、ゆっくり休むことだけ考えなさい」

 
 ※
 

あの時、倒れた後――。
三日三晩は意識がまったくなく、4日目に何度か目覚めてはすぐに意識を失うを繰り返し、5日目にどうにか意識を取り戻したらしい。
月英はその期間のことをまったく覚えていないので、後で趙雲と星彩から聞いた。
5日目にぼんやりとした意識の中、自分が女であること、孔明の妻であることが露呈したのだということは分かった。
翌日。
意識がはっきりしたところで劉備が来た。
意識がないときも数度来たのだが、女人の部屋だからと星彩に追い返されたと笑って言った。急いでせめて上半身だけでも起こそうとした月英を劉備はひらひらと右手を揺らして止めると、

「そんなに痩せてしまっては私が孔明に怒られる」

まるで病気の子供を見る親のような深い自愛に満ちた目で月英を見る。

「傷は痛むか?」
「ご迷惑をおかけして」
「迷惑などとは思ったことはない」

それから。

「皆が説得したから大丈夫だ。将として正式に迎え入れたい」

そうにこりと微笑んだ。
劉備が言うには、孔明が反対したが、月英の才智が必要に思い、自分が趙雲に頼み新野に呼んだことにし、女のままでは反対が出るので男装させたのも自分ということにしたと。
事実、月英の作った岩を取り除く道具など発明が得意なことは今後役立つだろうということと、華奢だが武術に長けた腕前のこともあり、多少わだかまりも、納得していない者もいるが時間が解決するだろう。
劉備の言葉に月英はそんな簡単に皆が納得させられるのだろうと思う気持ちと、劉備がまるで一種の信仰のように慕われていることを思い出す。

「残る問題は孔明だけだが、これも時間の問題だろう」
「・・・私は・・・」

月英の胸の奥で、こそりと動くものがある。
離縁したくないと嘆く自分と、子ができなかったのだから今が逆に離縁するにふさわしい時期なのではないかと考える自分が心のうちにいることは変わらない。
月英は、それをなだめるように、そっと胸を押さえた。
そんな彼女を、劉備は意味ありげに見つめた後、

「孔明は、月英に惚れきってるから大丈夫だ」
「そ、そんなことはありません――っ」

頬を朱に染める月英に劉備は、からかいを滲ませ軽く笑う。
けれど、すぐにその真顔になる。

「孔明は、月英が自分の妻という立場を捨ててもいいと言ったことに怒りを覚えたと言ってた」
「えっ?」
「それは子供ができなかったから捨ててもいいと言ったのか?」
「――・・・」

黙ったままの月英に、劉備はそれを肯定ととらえ、

「妻というのは子供を生むためだけの存在ではない。私が孔明でも、それに対しては怒りを覚えるだろう。男にとって愛する者がいるということは大きな力となるのだ。そなたは、孔明に望まれて妻になったのだろう?孔明が信じられないのか?」

たたみかけて、けれど、優しく諭すように瞳を覗き込んでくる。

その優しさの滲む劉備の瞳の色と、
「私は、離縁したくありません」
孔明の言葉が胸に確かな感触をもって蘇ってきて、ふぇっ・・・と喉が鳴って、涙が溢れてきた。

月英の涙にすべてを悟ったように劉備は、じっと見つめる。

「そなた達を引き離したのは私だから申し訳なく思ってる」
「そ、そんな・・・。私は卑しくも、殿に嫉妬してました」

すん、と鼻を鳴らしながら月英はいう。

「でも、今は孔明さまがお仕えするのは殿で良かったと心から思っております。私も孔明さまとともに殿にお仕えできたら――」
「月英は、将として迎えはするが私に仕えようとは思わなくてもいい」
「えっ?」

心底驚いた様子の月英を受けて、劉備は頬に笑みを浮かべる。

「そなたは孔明を支え、孔明とともにあるためにここにいればいいのだ」
「殿・・・?」
「孔明に嫉妬されたくないからな、それがいい。あいつは嫉妬深そうだからな」

肩から軽く笑いを吐き月英に微笑む。月英はそれに肩をすくめる。


 ※


駆け寄ってきたその巨体に孔明は珍しくたじろいだ。
江東の孫呉と同盟を結ぶことに成功し、その公式の使者とともに江夏の劉掎の城に戻った時、長く劉備軍を離れていたが、一見何も変わった様子はなかったように思えたのだが。
使者と劉備の謁見を終え、一息ついた頃、張飛が駆け寄ってきたのだ。
その後ろを関羽がゆっくりと歩いてくる。
逃げようにも背後は壁で、逃げ道はなかった。酒を持ってはいるが酔ってはいない様子だ。

「どうされたのですか?」
多少頬を引きつらせながら問いかけると張飛は酒を突き出すと、

「これを月英殿に。痛む時にはこれに限る」
 
と言う。張飛の言った月英殿という言葉に、孔明の思考が一瞬止まり、その後、痛む時という言葉に動揺が全身に走るが、言葉なくただ驚きを隠せずに張飛を凝視するだけしかできない。
孔明の動揺を関羽が受け取り、今までの事情を孔明に話す。途端、

「月英の怪我の具合は?!」

関羽の肩を掴み問いかけてくる孔明に、関羽はふっと頬を揺らし、月英のいる部屋を教える。
急いで向かおうとする孔明に張飛は無理矢理酒を持たせる。
受け取り礼は言うものの心ここにあらずとばかりに様子の孔明に、さっさと行くように言うと、その背が見えなくなるまでふたりは見た。

「はじめて年相応のところを見たな」

笑いながら張飛が言うのに、関羽は頷く。

「兄者の言うとおり、軍師殿は我々に必要な存在で、軍師殿には月英殿は必要ということなのだろう」

しかし、と張飛がため息を落とす。

「星彩が英と仲良くしていたから、のちのち婿にと考えていたのというのに、星彩も嫌そうではなかったからいい縁だと思ったんだがなぁ」
「――・・・うちの関平ではだめなのか?」
「あれはまだガキだ」
「――・・・おまえの娘だってまだガキだ」
 
 ※
 
突然、現れた孔明に月英と星彩は驚いた。星彩が月英の包帯を交換してくれていた。
肩で息をする孔明は星彩がそこにいることが想定外だったらしく、星彩とまともに目がぶつかって、ほんのすこし慌てた様子を見せたので星彩は、

「包帯の交換お願いします」

とまだ巻きかけ包帯を孔明に見せる。孔明が無言のまま頷く。

「その酒、父上から?」

孔明が手にしたままの酒に星彩の視線がいく。

「ああ、いただいた」
「痛みにはそれは一番効くとか言ったけど医者は駄目だと言ってました」

星彩は立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。
星彩の足音が聞こえなくなるまで立ちつくし、彼女の消えた方へじっと視線を送っていた孔明だったが、あの、という月英の声に我に返るように月英に振り返ると、寝台の脇に酒をおくと、寝台の上で座している月英の脇に座ると、そのまま、彼女を抱きしめる。

孔明さま、という彼女の驚きなど気にせず、けれど、月英の怪我を気にしながらも、月英の髪に
鼻先を押しつけて、彼女の香りで精神を落ち着かせてゆく。

ふたりは、お互いのぬくもりを満足いくまで確かめ合う。それから、腕をゆるめ、

「こんなにやせて」

孔明が言う。
気持ちを確かめ合う言葉などいらない。
月英が新野に現れてから、月英を拒絶していた孔明。
そのくせ、想う気持ちを止められず、手探りのまま愛し続けてきた。

「それは孔明さまですわ。江東ではご苦労をなさったのでは?」
「江東といえば」

孔明が、月英の髪を撫でる。

「私の兄が江東にいることは知ってますね?」
「ええ。久しぶりにお会いできたのですか?」
「同盟が正式に決まるまでは顔を合わせないようにはしましたが、一度ゆっくりと話すことができました」
「それは良かったですわ」
「そこで、初めて甥姪と会いました。兄が言うには次男の喬が私の幼少期にそっくりなのだそうです。亮と喬を呼び間違えると笑ってました」
「まぁ、それはお会いしてみたい」
「――月英、これはひとつの提案なのですが、喬を養子にしませんか?」
「えっ?」
「勘違いして欲しくないのは、私はあなたとの子供を諦めたわけではないことです。あなたが嫌だといえば――」
「義兄上ご夫妻さえよろしいのでしたら、私は喬殿を迎えたいです!」
「いいのですか?仮に私たちに子供が、男子ができたとしても喬を長男として、伯の字を与えることとなりますよ」
「あなたの血を引く子なら、かまいません。夢でした。あなたの血を引く子を育てることが夢なのです」

月英は、嬉しそうに頬のうちを笑いで揺らしている。

「――きっと、喬はわたしよりもあなたになつくでしょう」
「精一杯お世話させていただきますわ。けれど、義兄上ご夫妻は・・・」
「養子の話を先に持ち出したのは兄です。あなたにも一度会いたいと言い、今回の同盟の使者に同行したがっていたぐらいです」
「まぁ」

月英がくすりと笑う、その頬に孔明は口づける。月英もおとなしく孔明がするがままに身をゆだねる。頬に、額に、鼻先に、首筋に孔明の唇が触れ最後に、唇に深い口づけを落とす。
孔明は、ずっとこうしたかったのだと、心があたたかく染まっていくのを感じた。





軍師殿がいるから、と趙雲と関平は星彩に言われ、その部屋の戸を見つめた。
関平が顔を見せないと心配していると趙雲に言われ、関平が来たのはいいが間が悪かったらしい。

「まぁ、明日にでもまた来ます」
「夫婦の時間の邪魔はできないからな」
「関平もさっさと月英殿に顔を見せてあげれば良かったのに」
「星彩、まぁ、男心は複雑なのだよ。関平にとって月英殿ははじめてー-!」
「わー、趙雲殿!!!!」

慌てる関平に星彩は眉をひそめると、

「なによ、ふたりしていやらしい」

ぷいっとふたりに背を向けて行こうとした時、月英の部屋の戸が開いて、ちょうど前を通りかかった星彩は孔明と言葉を交わしてから、去って行く。
孔明は趙雲と関平に気付き、近づいてくると頭を下げる。

「妻のことでいろいろご迷惑を」
「迷惑などとは思ってませんから頭を上げてください」

趙雲の言葉に顔を上げると、孔明は関平に向かい、

「妻が倒れた時、助けてくれたのは関平殿だと聞きました。本当にありがとうございます。」
「いえ、あの・・・、申し訳ないのはこっちの方で」

顔を真っ赤にする関平に趙雲は笑いをこらえるが、

「そんな動揺しなければどうにでもなるというのに」

こらえきれず、趙雲は声をあげて笑う。孔明がそのふたりを不思議そうに交互に見る。
そんな孔明の肩に手を置きながら趙雲は、

「あくまで不可抗力ですからね、事故です」
「何がですか?」
「月英殿が倒れた時、肩からの出血がひどくて、あわてた関平がどこから出血してるのか確認しようとして」
「趙雲殿!!!」

後ろから趙雲を止めるように関平は、抑えようとするが、

「簡単に言ってしまうと月英殿の胸を見てしまったのですよ。だから、あなたにも月英殿にも申し訳なく思ってるんですよ」

からかいを滲ませた目で孔明に言う。

「――故意ではないので、仕方のないことですから」
「――目がそう言ってません、軍師殿」

孔明から顔をそらし、頭を抱える関平に孔明も趙雲も笑う。

「あ、明日、顔を出しますので今日はこれで」

ふたりのからかうような笑いにたえられなくなったのか関平は逃げるように走り去る。

「怪我ですが跡は残りますが麻痺などはないようなのでご安心を」
「ありがとうございます」
「礼など必要ないですよ。なかなか楽しませていただきました」
「ところで、あなたの興味のあることとは何だったのですか?」

ああ、と趙雲が声を上げた後に苦笑を洩らす。

「秘密ですよ。ひとりでこっそりと楽しんだのですから」
「―-・・・」
「好いた惚れたという感情はなかなか強いものだと教えられましたよ」
「えっ?」

趙雲がにやりと口の端に笑みを浮かべる。

「養子をとることにしました。江東にいる兄の次男です」
「養子ですか?」
「引き取るのは落ち着いてからになるでしょう」
「孫呉と同盟を結び、その裏では何をするつもりですか?」

いえ、別に、とにやりと唇を歪める孔明を趙雲は見る。

「この度の同盟もあなたでなければできなったことでしょう。我々はあなたの理知的な思考力と政治力を信じてますから」
「それはありがたい」
「しかし、養子ですか。私は子供が好きなのでそれは楽しみですね。関平も星彩も子供の頃は可愛かった。」

趙雲がしみじみが言う。

「星彩は別として関平などは図体がでかくなっただけでまだ中身は子供ですが。早く会いたいものです、あなた方のお子に」
「幼少期の私に似ているそうです」
「――それはますます楽しみだ。憎たらしくないように月英殿にお育ていただかなければ」
「どういう意味ですか?」

ははは、と趙雲が笑うのにつられて孔明の笑みを浮かべる。
そして、空を見上げる。三日月が浮かんでいる。
 
「月英殿は孟姜女のようですね。」
「では、私は范喜良ですか」
「万里の長城を壊さない為にも、あなたにはがんばってもらわないといけませんね」
「はは」
「私もそんな女性に出会いたいものです」
「――趙雲殿は理想が高そうですね」
「そうですか?」
 
そう笑いながら趙雲は空を指さす。

「今宵は三日月なのですが、月出ているからあなたは寂しくないでしょう?」
「――ええ」
「やけに素直ですね」
 
孔明は苦笑を落とすのをおもしろげに趙雲は見た後に、再度月を見上げる。

「月がいればあなたは大丈夫でしょう。」

 
 
孔明もその月を見上げる。
 


夜闇に糸のような月が浮かぶ。それは日が満ちていずれ円く輝く。



そして、それがまた欠けてもまた何度でも満ちていく。



それは、月英への想いと同じ。



月を心から隠すことなどできやしない。



どんなことがあっても、必ず膨らみ続ける想いと同じだ。
 
 
 

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