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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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あの黒い瞳がときおり、自分にだけやさしげに揺れるようになって。
「好きですよ、あなたが」そうあの人が言ってくれて。
劣等感でしかなかった赤い髪を好きだと言ってくれて。
今でも彼に会えば、初めて出会った時のように甘苦いものが、胸を突くほどのときめきを生む。
 



会いたいなぁ、その言葉には出さずにそっと胸にしまいこむ。
 





 ※
 


兵の鍛錬を終え、月英は木陰に腰を降ろし座りこむと膝頭に頬を押し付ける。疲れた体に風が心地よく、瞼を閉じ、うっかりうとうとしかけた時。
 
「下着見えるぞ」
「見えません」
 
月英は瞼を開いて声の主――馬超を軽く睨みながら、立ち上がる。
 
「どこ見てるんですか」
「そりゃあ」
「ちょっと、足見ないでよ!」
「見られたくなければそんな短いのはかなきゃいいだろう」
「こっちの方が動きやすいんです!」
 
ぷいっと顔と背を馬超からそむけ、月英が歩き出すと、
 
「月英殿」
 
と前方から手を振る人が見えた。
 
「趙雲殿」
「諸葛亮殿が探してましたよ。何か頼みごとがあるらしいです」
「えっ、本当ですか?!ありがとうございます」
 
ぱぁ、と顔に嬉しそうに微笑みを浮かべて軽やかに走り去る月英と、一瞬だけ顔をしかめる馬超を交互に見て趙雲は、クッと笑う。月英の背が見えなくなるまで見届けると、
 
「気のあるコには意地悪したくなる人ですか?」
「はっ、何言ってっ」
 
馬超の慌てぶりに、趙雲はますます面白そうに頬を揺らす。それに馬超は眉をひそめる。
 
「趙雲殿はどうなんだ?!」
「それは月英殿に気があることを肯定したということでよろしいですか?」
「そうじゃなくて!」
「まぁ、私はいろいろ親切にしても結局いい人で終わる人間ですよ」
「――・・・」
「どっちが空しいでしょうかね」
「俺は・・・、ただ、利用されてるだけなんじゃないかって思うだけだよ」
「利用?・・・、月英殿が諸葛亮殿にということですか?」
「ああ」
 
ぶっきらぼうに、けれど、どこか心配そうに月英の去った方を見据える馬超を一瞥してから、趙雲は同じところに視線を送る。
 
「月英殿は頭のいい人ですし発想力がすごくていろいろ作り出せますし、それを諸葛亮殿が活用してはいますが、それだけではないでしょう、大体あのふたりは」
「恋仲だっていうんだろう。俺にはそうは思えないんだよ」
「思いたくないのではなくて?」
「そうじゃない!」
「男女の仲なんて他の人間には分からないことが多いですからね」
 
それにしても、と苦々しく低い声でうなり、顔をしかめる馬超を趙雲は笑いながらも、その笑いの中に、そっと馬超の言葉を否定できないものを滲ませる。
 
 
 ※

 
赤壁での戦いの後、劉備軍は荊州の主要部を制圧し、勢いに乗り曹操、孫権と並び立つ根拠地としては、最適となる益州の成都までの手に入れた。その間、孔明はとても内政や外交関係諸々で忙しそうで、私事にかまけている時間などないぐらい。月英自身にも身内の不幸があり、喪に服さないといけない時期も重なり、婚姻などの話は空に浮いたまま――。
それに、月英の父が孔明との婚姻を反対しているのだ。
月英の身の安全の為に、あくまで劉備軍に月英を預けたが、婚姻などは話が別だといい、今は戻ってくるようにと再三文が届く。それは月英をげんなりとさせたが、ひとり娘である月英は父の心配も分かる。

それに――。

けれど、時折隙をみて孔明が月英との時間をほんの少しだけとってくれるのが月英にとって救いだった。
疲れているはずなのに、休みたいはずなのに。その気持ちだけで胸に幸福感が染みて、ぽっ・・・とあたたまってゆく。胸の中から、指の先、髪の先まで全身にそのあたたかさが染みていくほどに。

 
 ※
 

それを告げた時、月英の沈みように馬良はなんだか申し訳ない気持ちになった。
孔明に呼ばれたと聞いて来たという月英に不在と別段探している様子はなかったと告げたところ、しゅんと肩を落とした月英に馬良は、意地悪をした気分になってしまった。
そもそも気を使ってか月英は、呼ばれた時などしかこの執務室に顔を出さない。
悲しそうに肩を落としていた月英だったが、気持ちを切り替えたのか馬良ににこりと笑ってみせる。
 
「じゃあ、出直してきます」
「すぐに戻ると思うから待っていたら――」
「お仕事の邪魔になるだけですから。では、失礼します」
 
月英が執務室を出て、半刻もたたないうちに孔明が執務室に戻ってきたので、馬良は間が悪いと思わずため息を洩らした。
 
「つい先ほど、月英殿がきましたよ」
「月英殿が?なぜ?」
「さぁ、趙雲殿が探していたとか言ってたらしいですが」
「――そうですか」
 
じゃあ、これをお願いします、と馬良は書簡を渡される。
 
「目を通せば分かります。すぐに戻ります」
「どうぞ。ごゆっくり」
 
仕事中毒ともいえる孔明の唯一の息抜きが“月英”であることを知っている馬良は、書簡と受け取ると、机に向かう。

 

 ※


月英を見つけた時、彼女はひとりではなかった。
呉の孫家から同盟のために劉備に嫁いできた尚香が一緒で、城内の中庭の池のほとりで立ち話をしていた。月英は孔明に背を向けていたが、尚香が孔明に気付き、月英にそれを伝えたらしく、彼女が振り返った。
そのまま、尚香に背を押され、月英は尚香に頭を下げた後、孔明に駆け寄ってきた。
何かからかわれたのかその顔は耳たぶまで赤らめていた。
 
「部屋に来たと馬良から聞きましたが」
「えっ、私は趙雲殿から呼ばれていると聞いたのですが・・・あっ」
「どうかしました?」
「私が馬超殿に絡まれていたから趙雲殿がそう助け舟を出してくれたのかも」
「馬超殿に?」
 
ほんの少しだけ孔明は眉をひそめてその名を呼ぶが、月英はそれに気付かず、ただただその目のふちに、心から嬉しそうに微笑を浮かべている。
 
「ちょうどお見せしたいものがあるのですお時間大丈夫ですか?」
「ええ」
「工房までお願いします」
 
月英は、城内に劉備から発明開発のための工房を与えられていた。そこへ向かって歩きだした時、文官が月英に駆け寄ってきた。
 
「月英さま、文が届いてます」
「ありがとうございます」
 
文を月英が受け取ると文官は去っていく。
その文の差出人を見て、月英の目が一瞬沈むが、すぐにそれを隠すように、
 
「運搬道具の図面が出来ました」
 
と、にこりとしてみせる。
 


工房の戸を閉めた途端、孔明はそっと月英のその背を抱き寄せた。
こうしてふたりきりで会うのは久しぶりなのだ。
伸びてきたその手に月英は、そっと振り返り、孔明の胸に頬を寄せて、ふわりと甘く溶けていく想いに目を閉じた。けれど、まだ少し緊張する。鼓動が早まる。頬が染まる。
それを隠すように孔明の胸に、もっと強く抱きつく。
孔明の手がふわりと月英の頭に触れ、頭蓋骨の形を確認するかのように撫でた後、今度は梳くように髪に触れ、背へと落ちていく。
 
「先ほどの文は、父上からですか?」
「――はい」
「読んでください」
 
するりと孔明の体温が離れていくのを名残惜しく感じるが月英は言われた通りに文に目を通す。
 
「いつもと同じ内容です。一度戻ってこいと」
「そうですか。今はまだ政情も安定してますから一度戻ってみたらどうですか?父上も顔を見たいのでしょう」
「でも・・・」
 
不安げに見上げる月英を再びそっと抱き寄せる。
今、彼女の不安を和らげるものを孔明は自分の腕しか持っていないから。
その腕で彼女を守るように包み込みながら――・・・。
けれど。
孔明の首元に月英の髪が触れ、ふわりと匂いたつものに孔明の心が震える。
そっと抱きしめる腕に、胸に身を預けてくる彼女の体が思いのほか華奢で、それでいて柔らかくて――。
彼女は分かっていない。孔明は胸の中で苦笑を洩らす。
以前のように緊張して息ができないなど言うことは少なくなったが、こうも疑いもなく身を任されもまだ困る。
彼女は男の生理を分かっていない。
月英の額にそっとくちづけてから、彼女の体を離す。
すると月英は、名残惜しそうに、そっと瞼を伏せる。
孔明の腕に抱かれていると、月英の胸はたまらなく甘いものでゆっくりと満たされていく。
けれど、その温もりが離れていくと、たまらなく悔しいようなものでキリキリと苛まれる――。

 
 ※

 
執務室に戻る最近、隆中より呼び寄せた弟の均も来ていた。
孔明は均に自分の秘書的業務を任せている。
 
「江東の兄上から文が届いてます」
 
均からそれを受け取ると、孔明は目を通す。
 
「兄が来るようです。あくまで私人として来ると書いてます」
「瑾兄上が?」
「幼くして別れたからほとんど覚えていないでしょう?」
「――かすかに覚えてますよ。とても優しかった」
「あの夜泣きがひどかった均がどうなっているか心配してますよ。兄上がよく夜中にあやしてましたから」
「嘘だ!」
 
孔明は文を均に渡す。
 
「――本当に書いてある。そんなにひどかった・・・ですか?」
「どれどれ」
 
馬良が覗きこもうとしたのを均は必死に隠す。その姿に思わず笑いながら、
 
「殿のところへ行ってきます」
 
と部屋を出る。
しばらく廊下を歩いていると、趙雲と馬超が反対側に見えた。趙雲がにこやかに手を振るのに、軽く会釈する。
 
「殿のところに行かれるのですか?」
「ええ。先ほどは、月英殿への伝言、感謝します」
「あぁ、無事会えましたか。良かった」
 
ふたりとすれ違い際、馬超のどこか敵意のようなものを滲まれた視線に孔明は、さらりと受け流しながらも、ここまであからさまに敵意をむき出しにされたのは初めてだと思った。
 

歩く孔明の背を睨むように見据える馬超に趙雲はその口の端に苦笑を浮かべる。それに気付いた馬超が、不快そうに眉を顰める。
 
「諸葛亮殿はひどいのですよ。人の縁談を壊したのですから」
「はっ?」
 
突然の趙雲の言葉に馬超は、ますます眉を顰める。
 
「月英殿が我が軍に現れたとき、殿が月英殿と我が軍の誰かと縁付けようとして、諸葛亮殿本人が私をすすめたそうなのに、結局は自分のモノにしてしまった。酷いでしょう?」
「だから、何だよ」
「ふたりともはっきりとは言いませんが、以前からの知り合いのようで」
「それが何だって言うんだよ」
「つまりは、月英殿が諸葛亮殿を追ってきたということですよ」
「――・・・」
「可愛いですよね、犬みたいで。諸葛亮殿に声かけられると尻尾ふってるみたいだと見てて思ってるんですよ」
「犬って・・・」
「耳と尻尾をつけて想像してみると結構似合いますよ、月英殿。」
「・・・どんな想像してるんだよ、趙雲殿」
 
呆れる馬超に趙雲はにこりとしてみせながら、
 
「うだうだ嫉妬しているよりは当たって砕けてみては?」
「――・・・」
「あの月英殿が他の誰かに尻尾をふるとは思えませんけどね」
 

 ※
 

劉備の居室から尚香が侍女もつけずに飛び出して来たのに孔明は気付いた。
尚香は、おそらく劉備が追ってくることを期待していたのだろうかその気配もなく、ただ孔明は間が悪かったと
踵を返して執務室に戻ろうとしたが、尚香が孔明に気付いた。
 
「劉備様なら部屋にいるわよ」
「そのようですね」
「私は部屋に戻ります!」
 
つまり、それを劉備に伝えろということだろうと孔明は解釈して頷く。
 
「あと、月英をあんまりほおっておくと、他の男に取られるわよ!」
 
きっと睨みつけてくる尚香の視線を静かに受け止めながら、女ふたりでどんな話をしているのだろうと内心思った。




 
 
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