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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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「私は、月英を欲しいと思っている」
 
その言葉に、孔明はちらりと劉備を一瞥した。
江夏の劉掎の城の一室へ劉備は孔明に言った。
 
「それは、武将として、もしくは妻のひとりとして迎えたい、どちらでしょうか?」
「武将としてだ。曹操の手に落ちた地に帰すこともできないし、曹操はおそらく彼女に興味をしめし、無理矢理側室のひとりとしてしまうだろう。それだけ彼女は目を引いた」
「そうです・・・ね」
「できたら、月英を我が軍の誰かと縁付けたいと思っているのだが――」
「趙将軍ではどうですか?年頃も良く、同じ武将としてもよいかと思います」
「――私は孔明、そなたはどうかと考えているのだが」
「私ですか?」
「ああ。どうだ?」
 
孔明の瞳には怪訝な色が映っている。
 
「それは命ですか?」
「いや、そういうわけではない」
「私は妻帯するつもりはありません」
「なぜ?」
「女性は面倒です」
 
面倒、劉備は孔明の言葉を繰り返す。
自分のこの聡明な軍師の論理的発想や状況を見極める能力に政治力、すべておいて信頼しているが、そのどこか掴めない飄々とした風情に時折困惑するのだった。
女は面倒だから妻帯しないというのか。
面倒な目に合わされたことがあるのか。
そもそも、この男は異性に関心があるのか、そんな疑問さえ浮かぶ。

けれど、孔明を想って泣いていた月英の顔が劉備の胸に蘇る。
 
「彼女が嫌なのか?」
「嫌も何も私は彼女をよく知りません」
「そう・・・だな」
「私は趙将軍がよろしいかと思います。」
「趙雲か・・・。孔明、仮に私が命令だといえば娶るか?」
「――そうですね。それならば、仕方なく」
 
仕方なく・・・か、と呟く自分の主君を孔明は不思議な気持ちで見た。
なぜここまで月英と自分を縁付けようとするのか不思議でならなかった。
月英のことは知っていた。
師がとても可愛がっており、彼女の話をする時はとろけんばかりの目をしていた。師の話では度の過ぎたお転婆娘というよりはじゃじゃ馬で、時折水鏡のところへ行くらしい彼女とすれ違うことは幾度かあった。
共もつれず、ふらりと馬に乗り、自分の存在に気付くと勢い良く馬を走らせ去って行く。
変わった娘だとは思っていた。
だから、今回突如彼女が現れた時もさほど驚かなかった。
その戦いぶりなどから、今回限りというのは惜しいとは思ったが、まさか劉備が自分と縁付けてこようとするとは思わなかった。
 
「そんなことよりも殿、江東行きのことです」
「せめて、関平か趙雲を連れていけ」
 
江夏へと入り、本営を構えてすぐのことだった。
江東をおさめる孫権の使者という魚粛という男が訪ねてきて、劉備と孔明とで会った。
そして、しばらくすると孔明が魚粛とともに江東へ同盟を結ぶために向かうこととなったのだが、共はいらないという孔明を劉備は反対していた。
ものものしい武人など連れていけば反感をもたれるだけだという孔明の意見も分かるのだが・・・。
けれど、劉備軍の生き残りのためにも江東との同盟は不可欠である。
 
しかし、と孔明が口を開こうとする前に、劉備が「そうだ」と声を上げた。
 
「月英はどうだ?」
「月英殿・・・ですか?」
「身の回りの世話する者として連れていけ、女人なら向こうも反感など持たないだろう。彼女なら護衛になる」
「しかし」
「これは命だ。月英には私から伝える。縁談の話はそれからだ。彼女のことをよく知ってから判断すればいい」
 
劉備の名案だというような得意そうな顔に孔明は黙った。
何を言っても無駄だと悟ったのだ。
 
 


 ※



劉備にそれを言い渡された時、月英は驚きに呼吸が止まった。
それから、軽い悲鳴を洩らして、劉備に笑われた。
劉備の命を断るすでもなく孔明の江東行きへと同行することとなり、夏口から柴桑へ馬で駆けた。
昼間はただ馬を走らせ、夜は野営。魚粛は3人の従者を連れており、野営の準備などは魚粛の従者が手際よく整え、月英も教えてもらいながら手伝った。
孔明から月英に話しかけてくることはなかった。
だからといって魚粛ともあまり話している気配もない。
勇気を出して月英から声をかけても視線を投げかけてくるだけで、月英はいつも
 
「私にできることがありましたらおっしゃってください」
 
と早口で言うことしかできないのだった。それだけで酸欠だ。
その日も同じはずだった。
月英は空が気になった。空は青い。風も澄んでいるのに雲が妙な動きをしている。
 
「夕立がきそうです」
 
孔明と魚粛の馬に近づき、そう告げると魚粛は信じなかったが、孔明は休憩をしようと言い、しばらくして雨が降り出した。
 
「よく分かりましたね」
 
雨宿りの中、孔明にそういわれ、月英は肩をすくめ、一呼吸してから、
 
「書で読んだことがありました。それから、気をつけて空を見上げるようにしてました」
「水鏡先生のところにあった――という書ですか?」
「――ええ」
 
読んだ書は確実に身につけるだけの学があるということかと思いつつ孔明は、月英を見るがすぐに顔を反らされた。彼女はいつもそうだ。すぐに顔をそらし、息苦しそうにする。水鏡の学問所や戦場など男所帯に平気で顔を出し、勇ましく振舞うのに、どこか男慣れしていないようでもある。
 
「月英殿」
「は、はい」
「明日には柴桑に着きます。その前に少し話があります。夜、野営の準備を整えた後、私の元へ来てください」
「は・・・い」
 
 ※
 
呉の柴桑城に着くとすぐに孔明とは別れ別れになった。
曹操は、荊州の守りの要所・江陵を落とすかと思われ、そうなると隣接している呉にとっては、曹操軍の駐屯は大きな脅威となるが、君主の孫権は実践の経験も乏しく、曹操軍の情報も少なく、そのために劉備に探りをいれてきたのだ。
曹操と戦い続け、生き残っているのは劉備だけだから。
ただ、呉国内は曹操の脅威に恐れをなし降伏を唱える穏健派の家臣と開戦派に別れているという。
昨夜孔明に呼ばれ、その話を聞いた。
秋も深まってきている時分。夜は冷えた。
焚木を囲みながら、孔明と話した。
とても緊張したが、その時の孔明の声音はとても優しく、じょじょに緊張も解けた。
けれど、それは子供を扱うような感じで、どこか焦れる気持ちを感じた。
そして、異腹の兄が呉のいるとことも教えてくれ、おそらく会いにくるだろうが面会は断り続けてくれというのだ。公私混同はしたくないのだろうと月英は思った。
 
柴桑城の一室を孔明と月英に与えられた。
夜になってその部屋にきた孔明は黙ったまま、窓から見える月夜をずっと見上げていた。
何か思案しているのだろう、そう思い月英も黙ったまま同じ空を見上げた。
 
いつの間にか榻に腰掛けたまま、眠っていたらしい。
孔明は目が覚めると、上掛けがかかっていた。
月英がしてくれたのだろう、そう思い蝋に火をつけ、見渡すと意外にも月英が戸の傍に立ち、孔明に気付くと人差し指をそっと唇に当てる。
何も言うな、ということだと思い孔明も声を出さないまま月英を見た。
しばらくして月英は息を吐き落とすと、その赤い髪をかき上げ、その仕草がやけに大人びて見えた。
 
「3人というところですね」
「見張りですか?」
「ええ」
 
思ったより多いな、と思った。
そして、夜目でもよく分かる赤い髪に自然と目がいった。
孔明の視線に気付いてか月英はふっと睫毛を伏せて途端色づくその頬が、とても美しいと孔明は素直に思い、そして、子供なのか大人なのかよく分からない女だとも思った。
 
「明日からまたお忙しくなるでしょう。ゆっくりお休みください」
 
月英はそう言うと、衝立をたてた部屋の奥へと消えた。

 


 ※


「申し訳ありません、本日もお会いできないそうです」
 
そう言うとその男は、目尻を寂しげに歪めた後、そうか、と唸った。
最初に会った時、名乗らなくても月英にはすぐに分かった。孔明の兄だと。孔明よりも面長な顔をしていたが、顔のつくりのところどころとても似ていた。けれど、雰囲気は兄の方が柔和だ。
 
「ところで、ずっと思っていたのだがそなたは?」
「諸葛亮さまのお世話をさせていただいております月英と申します」
「妻・・・ではないのか・・・」
「へぇ?!」
 
月英の驚きように孔明の兄――諸葛瑾は逆に驚いたようだった。
 
「そんな滅相もございません!!!私などが!」
「それは失礼した。申し訳ない」
 
諸葛瑾は孔明によく似たその黒い瞳で月英に微笑んだ。
諸葛瑾を見送った後、しばらくして居室へと入ると、孔明が書簡を眺めていた。
 
「帰りましたか?」
「ええ」
「すごい声がしましたが何かあったのですか」
「いえ、別に・・・」
 
両の手で顔を覆い隠す月英に孔明にその口の端に笑みを浮かべる。
本当はすべて聞こえていた。兄も分かっていて言ったのだろう。
 
ここ数日、孔明は呉の高官たちと議論を長時間交わし、舌先三寸の縦横家と罵られもしたが、孫権や、呉の大都督の周瑜との謁見もかない、着実に孔明の思い描くとおりに自体は動いている。
同盟の結びまで時間の問題だろう。
孔明は顔を上げて、「長江を見に行きます」と月英に声をかける。
 
 ※
 
もう陽が落ちかけ、遠く対岸に沈んでいくのが見えた。
風が強いと思った。髪をひとつにまとめてきて良かったと月英は思った。
足が風によろけそうになるのを堪えていると、ひとりの男が近づいてくるのが分かった。体格から武人だと分かった。一瞬構えたが、その男に争う気配もなく、月英に気付くと頬を揺らして笑った。
遠くに警護のものがいるのに気付いた。
 
「お待たせしました」
「周瑜殿」
 
この男が――。
呉の大都督の周瑜公瑾だというのか。月英は息を呑んだ。
美周朗といわれるだけのことはあり、整った顔立ちに、けれど、どこか猛々しさを持っている。
月英は我に返り、慌てて礼をとるが、周瑜は月英に笑いかけたがすぐに孔明を見る。
 
「まるで恋人同士のように見えましたよ」
「ご期待沿えず申し訳ない」
 
ここで落ち合い約束をしていたらしくふたりは、そっと月英から離れて歩き出す。
月英は一定の距離を保ちながら付き従う。
 
陽が完全に沈みきるまでふたりは話し込み最後に、
 
「では、明日」
 
そう言って別れた。
 
それから、孔明はしばらく暗闇の中、長江を眺めていたが、ふいに月英を振り返り、目が合った途端、月英は孔明を見つめていたことがばれたのかと思い、思わず顔を背ける。
その時、今まで止んでいた風が大きく吹いた。
 
「きゃあ!」
 
足をとられそうになった。堪えたつもりがそのまま倒れ込んだ。
いたぁ、と立ち上がろうとして、すっと手を差し出された驚いて、ただその手を見つめた。
 
「大丈夫ですか?しっかりしているようであなたはどこか抜けている」
「あっ、はい、大丈夫です!!」
 
急いで立ち上がろうとする前に腕を取られた。
その掌の温もりに電流が走ったかと思うぐらい全身が震えた。ひゃあ、と思わず悲鳴を洩らして、逃れようとしてまた転びそうになったが、孔明が手を離さなかったためかろうじて月英はようようと立ち上ることができた。
それから、すっ・・・と潮が引いていくように孔明の温もりが月英から離れた。
 
「思っていたのですが」
「は、はい」
「そんなに私が苦手ですか?」
「へぇ?!!ぎゃ、逆です!!」
 
素っ頓狂な声を出した後、月英は慌てて自らの口を押さえる。
 
「逆?」
「な、なんでもないです!ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
 
その慌てぶりに孔明は、月英の気持ちを察し、数瞬今にも泣きそうな彼女を見つめた後、
 
「月英殿」
「――・・・」
「息してますか?深呼吸してください」
 
月英は言われたとおりに深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、じっと自分を見てくる孔明から顔をそらした。
 
「申し訳ありません」
「謝られるようなことではありません。もう戻りましょう」
 
孔明が歩きだしたのに従う。
その背を眺めているうちに涙がこぼれてきそうになった。
拭ってもこぼれて落ちるそれに歯を食いしばって堪える。
柴桑城の部屋に戻るまでには、涙を止めたいと思っていると、ふっと孔明の歩が緩んだ。
孔明は今の気持ちをきっと気付いている。
そう思った瞬間、涙はより一層溢れた。
 
 
 
 ※




呉の幕僚の会議に出席した孔明は、穏健派を論破し、孫権に開戦を宣言させることに成功した。
どのような経緯があったのか月英は知ることはできなかったが、穏健派だった呉の幕僚の孔明を見る目が今までより険しくなったことだけは分かった。
敵を多く作ったのだろう、そして、これからも敵を多く作っていくのだろうと月英は思った。
 
けれど、それはすべて――。
 
「殿が成さんとしているのは、人が安らかに生きられる世・・・。つまり、あのような光景が日常に溢れている世です」
 
孔明の言葉が脳裏に蘇る。
その言葉の世を作るために敵を作っていくことになるのだろう。
 






「月英殿、これを殿に届けてください」
 
書簡を孔明から手渡された。
あれから――以前からそうではあったがますます孔明の目を見ることができない。
孔明の手元を見て、書簡を受け取りつつ、
 
「今は誰か警護が必要かと思います」
「大丈夫です。周瑜殿が配下を数人つけてくださるそうですから」
「――そうですか」
「それより、あなたが武人として優れていることは分かっていますが、女性ひとりでは――」
「大丈夫です。もとより、そんなこと気にするような女でしたら、長坂にさえ参じませんでした」
 
軽く孔明が笑ったような気配がした。
 
「勇ましいのは結構なことですが、多少の自覚はした方がよいかと思います」
「――はい」
「あなたに何かありましたら私は師に怒られることでしょう」
「えっ?」
「たまにお見かけしてましたから」
「ふらふら抜け出してましたから」
 
それでは、行って参ります、そう告げて踵を返す。
 
 ※
 
柴桑城を出てすぐふいに長江を見たくなり、少しだけ寄った。
風が強い。北風だ。川面も激しく揺れている。
 
「そこに立ってると危ないですよ」
 
声をかけられて振り返ると地元の漁民らしい男が立っていた。
 
「ありがとうございます。風が本当に強いですね」
「地元・・・の武将じゃないのか?わたしらにはこれが当たり前だがな」
「この季節はいつもこのような北風なのですか?」
「いや、突然風の向きが変わる時があるよ」
「どんな時ですか?」
「そんなこと知ってどうするんだ?」
「ただの好奇心です。だって、不思議じゃないですか。天気の関係ですか?」
「いや、冬には数日間だけ風の向きが変わるんだ。学がないから詳しいことは分からんが」
「前触れとかあるのですか?」
「急にむし暑くなるんだ。冬だってのに暑くなる」
「そうですか」
「とりあえず、川に落ちたくなければそこいらに立ってると危ないから」
 
 
そう言うと男は行ってしまった。
月英は馬をつないでおいたところまで戻ると再び長江を眺めた。
北風が相変わらず強い。
 
 ※
 
孔明からの書簡を劉備に手渡すと、それを読んだ後、劉備は考え込んだように瞳の動きを止めた。
行きよりも早い時間で江夏へと戻れた。
しばらくして劉備の瞳が、何か遠いものの輪郭を捉えるためのように細まり、そして、軽くため息を落とした。
 
「趙雲を呼んでくれ」
 
控えていた兵に劉備はそう言ってから、月英に視線を合わせてきた。
 
「お父上とは連絡がつき、私に任せてくれるということだった」
「父が?――これからもどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。ところで孔明は元気か?」
「多少お痩せになったようですが元気にしております」
「――やりすぎてはいないか?」
「――私もそれを心配しておりますが今のところは・・・」
「そうか。少しは孔明に慣れたか?」
「――窒息はせずにどうにかやっております」
 
月英の言葉に劉備が声を上げて笑う。
しかし、月英がかすかに頬を染めてはいるが、ふと睫毛を寂しげに伏せたのに気付いた時、
 
「お呼びでしょうか」
 
と声がして趙雲が来た。
 
「あぁ、今、孔明から使いが来て、頼みたいことがあるのだ」
 
「殿、それでは私はこれで失礼いたします」
「ああ。孔明にすべてを承知したと伝えてくれ。月英も少し休んでいきなさい」
「はい」
 
月英は、話の邪魔にならないように下がろうとして趙雲と目が合った。
 
「確か月英殿でしたよね?今は諸葛亮殿に同行している」
「ええ」
「戻っておられたのですが」
「使いを頼まれたので。すぐに江東に戻ります」
「そうですか。気をつけてください」
「ありがとうございます」
 
月英は趙雲に礼をして幕舎を出た。
 
「聡明そうなご息女ですね」
「ああ」
「女性がいると華やかでいいですね。」
「そうかもしれないが、お前でもそんなことを考えるのか?」
「おかしいですか?」
「いや・・・」
 

 
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