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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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「私は行きません」

月英の言葉に孔明は珍しく言葉を失ったように、ただただ妻を見つめた。
その様子がおかしいのか、月英は鈴を振るような笑い声を上げる。
その笑い声に我に返ったのか孔明は、軽く咳払いした後に、なぜ、と小さな声で問いかける。
それに月英は、笑うのを止めて、けれど、唇の端に笑みを浮かべたまま、

「私が行って何になるのですか?」

と孔明に言う。

  ※

新しい年がきた頃――。
孔明はとうとう、劉備と会った。
三度目に劉備が訪ねてきた時、最初に対応したのは月英だった。
月英の顔を見た劉備は、人の良さそうな笑顔を向けた後、そっと視線を彼女の手に落とした。
それに気付いた月英は、曖昧に微笑みながら、

「もう血豆はできなくなりました」

と掌を劉備に見せる。それに劉備は頷いた後、それで出来るようには?と静かに問いかけた。
月英は、一瞬の間の後に首を振る。
そうか、と呟くように言った劉備は、改めて月英の掌を見て、

「時間の問題だろう」

と笑みを浮かべる。その微笑に月英は、胸が揺れた。新野に行った時、声をかけていた男が劉備だった。そして、

「実践で役立つためににはどのような訓練をすればよろしいのでしょうか?」

月英の問いかけに真摯に答えてくれた男だった。
名を問いかけても聞こえない振りをして答えなかった男だったが、誰なのか月英の中に確信に近い予感があった。
その予感に胸が軋んだ。
この人は、夫が仕えるにふさわしい人だと思った。
この人になら孔明も仕官するだろう。そう思った。
初めて孔明に会った時、

「私は、今仕えたいと思える人に出会っていないので居眠りを続けてますが、いつか出会えたらとは思っています。貴方が好きでもない男と結婚したくないのと同じですよ」

そう言っていた。
出会うべくして出会うふたりなのだ。そして、今がその時――。

そして、月英の予感は当たった。
ふたりがどのような話をしたのかは分からない。
けれど、孔明は出廬を決めた。

  ※

新野に共に行こうと言った孔明は、断られるとは思っていなかったのか、本当に驚いた様子で、それが月英には面白かった。
だから、声を上げて笑った。
なぜ、と問いかけてくる声が震えていた。
そして、懸命に月英に断られた理由を考えている様子だった。
そんな様子を、月英はくすりと笑う。

「私が行って何になるのですか?」

月英はそう言うと、孔明の眉根が歪んだ。

「もしや、劉表殿とのつながりを気にしているのでは?」
「そのような低俗な醜聞のようなことを申しているのではありません!」

月英は、珍しく荒げた声を上げる。
劉備を客将として迎えている劉表は、月英の母の実家の蔡家から後添いをとってから、いいように操られていると云われ、現在は後継者争いの最中だ。その蔡家の縁者となりますと、少なからず劉備や孔明に迷惑がかかる可能性はある。
けれど、理由はそんなことではない。

今、共に行ったとしても、役には立てない。
もっともっと強くならなければならない。実践で役に立つような強さがまだ月英にはない。

「私はただ、貴方と一緒に行きたくないだけです!」

月英の言葉を受け取る孔明は、彼女の名を苦しげに呻いた。
それに月英は一瞬だけ怯んだが、滑りはじめたくちびるを止めることはできない。

「嫌がる妻を無理矢理連れて行かれるおつもりですか?妻ならば夫に素直に従うべきだとお考えですか?私はそんな横暴には従いたくありません。貴方がひとりで行ってくださればせいせいします!」

月英は、肩で大きく息をして、それから、疲れたように唇を閉ざした。
駄目だ、心の中で呟く。うまく頭が働かないのか、言えば言うほどに墓穴をほる気がする。
それに、何を言っても孔明から言葉はない。その代わりに、月英が言葉を発するたびに、孔明の瞳が、優しく
いとおしげに深まっていくだけ。
月英は、瞼をゆっくりと一度閉じ、心のうちを落ち着かせてからそっと瞼を開く。
けれど、孔明の真っ直ぐな瞳に応えることは出来ず、

「今は、ただ、行きたくないだけ、です」

途切れ途切れに孔明に告げる。
足手まといになるだけだから――その言葉をぐっと呑み込む。
言えば、孔明の返答は分かっている。だから、言わない。けれど、孔明は感じている。それだけは分かる。

「私のわがままです」

月英がそう言うと、孔明が抱きしめてくる。その重みを、月英は両手で受け止める。

「貴方が――・・・」

孔明は、静かな声で言う。

「貴方が何も考えもないし、共に行かないとわがままだけで言うとは思いません」

すべて分かっている。そんな声音だった。
月英を抱きしめる孔明の手に、ぐっと力がこもる。そのあまりの強さに驚き、月英は顔を上げて孔明を見つめる。
目が合い、くちづけされるかと思った月英だったが、唇に触れたのは孔明の右手の親指だった。
えっ、と驚いた顔をする月英を、からかうように孔明の瞳が揺れる。
むっとして孔明の手から逃れようともがくが、逆に孔明の腕の力が強くなるだけ。

「期待してました?」

喉を揺らして笑う孔明を、月英はキッと強く睨みつける。

「何も期待などしていません!」
「嘘をつくものではありませんよ」
「嘘ではありません!」
「今、貴方にくちづけをすると止まらなくなりそうなので」
「えっ?」

孔明の手が月英の腰を撫で回し始めたので、小さく悲鳴を上げると月英は強く抗う。
そんな彼女を笑いながら孔明は、解放する。
それにほっとしたような、名残惜しいような、そんな複雑な気持ちを持て余すように月英は、自らを抱きしめるように腕を組みながら、孔明を見据える。

この人は、こういう人だった。

月英は、改めてそう思った。
孔明は、面白そうに月英を見ている。その視線が気に入らない。
なのに、この人にはずっと自分を見ていて欲しくて仕方がない。

悔しい。

心底そう思う。


不利な形勢を立て直すかのように、月英はぴんと背筋を伸ばす。
それから、つんと澄ました顔をして、ひらりと手を空に舞わせる。

「どうぞおひとりでいらっしゃってくださいな」

月英の言葉に、孔明は口の端に笑みを浮かべながら、

「いってきます」

月英にそう告げた。

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