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私のはただのお遊戯だ。
月英は、悔しさに下唇をきつくかみ締めた。
徐庶が口利きしてくれて兵の鍛錬風景を少し離れたところから見学することを許された。
孔明は徐庶が話があるというので、月英はひとりで兵の訓練を眺め、実践を経験している兵というのはまったく違うと思い知らされた。ぎりぎりと噛み締めた下唇から、赤が滲みそうになった時、お嬢さんと声をかえられて月英は驚いて振り返った。
そこにはひとりの男性。月英を真っ直ぐに見据えている。
「見かけない顔だ」
あっ、と月英は小さな声を上げた。
男の不審げな目に怪しまれても仕方がない。そう思って事情を説明すると、
「諸葛孔明殿の奥方か・・・」
男はそう呟きを落とした後、ふんわりと目元を緩めた。
「兵の訓練など見て楽しいですか?」
そう問われて月英は、にこりと微笑む。すると、男はゆっくりと目線を下げて月英の手を見る。
「武芸をやられるようですね」
「えっ?」
「手を見れば分かりますよ」
月英は、自分の両手を見つめる。そんな月英に男は笑いを洩らした。つられて月英も笑う。
「こうして実践を経験している兵を見ていると、私などただのお遊戯ですわ」
「訓練ではうまいが実践ではできない者や、その逆の者もいますよ」
「――・・・あの・・・」
「何ですか?」
月英は息を吸ってから、
「実践で役立つためににはどのような訓練をすればよろしいのでしょうか?」
男を真っ直ぐに見つめて問う。
男は驚いた様子だったが、月英の真摯な瞳に応えるように、
「何か守りたいものがある。そんな目をしている」
さりげなくそんなことを言った。
言った後、少し瞳を揺らした月英を満足そうに、唇の端に笑みを浮かべた。
月英は何も答えない。
男は、さりげない声のまま続けて、
「勇ましい女性だ」
付いてくるように手招く。
※
新野から帰ってから、孔明は何か考え込んでいることが多くなった。
元々ぼんやりと何か思案していることが多い孔明だったが、月英が何か言ってもぼんやりしていることが多く、月英は焦れた。
徐庶に誘われているだろうことは月英にだって想像がつく。
こんなに悩んでいるということは、心底心が揺れている証拠だろう。
ならばなぜすぐに仕官しないのか。
自分ならすぐにそうするのに――そう焦れながらも、分かっている。
孔明は、今の生活を壊したくないと思っていることも分かっている。
私ならすぐに仕官する。その考えても自分が苦労知らずだからこその発想なのかもしれない。
孔明は知っているから――何もかもを失うことを知っている。
そもそも孔明は、仕官する気があればツテがないわけでない。
月英自身、隆表と縁戚関係にあるし、孔明は江東で要職についている兄がいる。
「孔明さま!」
ぼんやりとしている孔明を少し強い口調で呼ぶと、ちらりと孔明が瞳を動かして月英を見た。
「もう寝ましょう!」
「貴方から誘ってくれるとは」
「その誘いではありません!!」
ぷいっと月英は孔明から顔を反らすと、孔明が喉を揺らして笑った。
それから、月英に手を伸ばしてきて、そっと月英の手を自分のそれで包む込むと、
「なぜ近頃、こんなに血豆を作っているのですか?ここなんか潰れている・・・」
そう言って、月英の手に唇を寄せる。
「孔明さま?!」
戸惑う月英など気にもとめない様子で、月英の手を大切そうに愛おしそうに、優しく包み込んでいく。孔明の温もりに包まれていると月英は胸の奥がうずいてくるのに気付いた。
「もう寝ましょう?――その・・・、一緒に・・・」
「それは誘ってくれているのですか?」
顔を赤くして不満気な顔をしながらも月英は小さく頷くと、それに孔明は嬉しそうに月英を抱き寄せた。
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