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諸葛夫婦(孔明&月英)中心小説保管庫です。更新はありません。旧「有頂天外」です。
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劉備玄徳。

最近よくこの名前を耳にすると孔明は思った。
遠くは漢室の流れをくむという男だが、領地もなく流浪の将であった。
その彼が荊州の劉表に客将として迎えられ、友人である徐庶が軍師として仕え始めたこともあり、孔明もその存在を知っていた。それに――。
今日、その徐庶が孔明の草廬に突然来た。

「奥方は?」

きょろきょろと月英を探す徐庶に、実家に帰っていると伝える。

「喧嘩でもしたのか?」

楽しげにそう聞いてくる徐庶を孔明が軽く睨むと、徐庶は軽く声を出して笑った。

「奥方がいないと来たかいがないな」
「お前は誰に会いに来たんだ?」
「月英殿」

しらっとそんなことを言う徐庶に孔明も笑う。
徐庶は月英に何度か会っており、夫である孔明にも平気で何でも言う月英に最初驚いたようだったが、今はふたりのやりとりを楽しんでいる風でもあり、また、興味の対象が広く、話を興味深気に聞いてくる月英との会話を楽しんでいるようだ。


 ※



「均さまから聞いたのですが徐庶さまがいらしたそうですね」

帰ってきた月英は、実家から持って返ってきた物を片付けながら月英が言った。

「あぁ、少し顔を出してくれました。彼も貴方に会いたがってましたよ」

月英がじっと自分を見てくるので、何ですか、と問うと、徐庶さまと何かあったのですかと聞いてくる。

「なぜそう思うのですか?」
「なんとなく。何もないのでしたら構いません――、いえ、別に何かあったとしても私には関係ありませんから心配などしていません」
「――心配してくれていたのですか?それはありがとうございます」
「心配などしておりません!」
「素直じゃないですね、本当に」

孔明の言葉に月英は眉を顰めて、ぷいっと顔を反らす。

「私が素直じゃないとしたら孔明さまが原因です!」
「私がですか?」

ええ、と月英は何やらある物を手に取ると、それをちらりと孔明に見せるような動きをする。

「孔明さまが私をからかうような口ぶりだからいけないのです。だから、これはどうしましょう?」
「何ですか、それは?」

勿体ぶった様子で月英はそれを後ろ手に隠すと、さぁ何でしょうね、とにやりとする。
月英に近づき、それを取り上げようとするとさっと月英は逃げてしまう。
そんなことを数回繰り返した後、中身をちらりと月英が見せた。
それは孔明が読みたがっていた書の写しだった。
月英の実家にその書があることは知っていた。
目の色が変わった孔明に、ふふんと月英は得意気な顔をして見せる。

「読みたいですか?」
「それは勿論」

仕方ないですね、そんなことを言いながら月英が渡してくれたそれを受け取り見ると、筆跡は月英のだった。

「わざわざ書き写してきてくれたのですか?」
「――私も読みたかっただけです。孔明さまの為ではありません」

ほんの少し頬を赤らめながらもつんとする月英に孔明は思わず笑みが零れる。
本当に素直じゃない、そう思いながら、逆にそこが月英を愛おしく思う部分でもあった。

「ありがとうございます」
「孔明さまの為じゃありません!」

月英、と名を呼ぶと様子を伺うように見上げてきた彼女に手を伸ばすと胸に抱き寄せる。
抵抗されるかと思ったが意外にも月英は大人しかった。

「読まないのですか?」
「もう時間が遅いですから明日にします」
「――それは分かりましたが、あの…、なぜ脱がそうとなさっているのですか?」
「3日も離れていたのですよ。仕方ないではありませんか」
「たかが3日ですよ!」
「3日も、ですよ。私は貴方がいなくて寂しかったのですが貴方は?」
「全く!清々してました!」
「それは残念。でも、貴方の心と言葉が逆なことぐらい知ってますから」

何か言いかけた月英に、もうおしゃべりはこれまでにしましょう、と孔明は彼女の唇を塞ぐ。


 ※


翌日、月英が書き写してきた書を読んでいると、背後に月英の気配を感じて振り返った。
月英は静かに近づいてきて、孔明の隣にちょこんと座り込む。

「孔明さまは、生まれはこの荊州ではないのですよね?」
「ええ」

父母を亡くし、叔父に引き取られ、その叔父をまた亡くし、そんな苦い過去を思い返されてくる。月英には直接話したことはなかったが、師である水鏡より聞かされている様子だった。

「それがどうかしましたか?」
「それを書き写している時に、私は旅というものをしたことがないと思ったものですから」
「あぁ、紀行文ですからね、これは」

好奇心の強い月英が、他の地に興味を持っても仕方ないことだろうと孔明は思う。

「旅をしてみたいのですか?」
「そうですね。世界は広いのに私の知る世界は狭すぎます」
「――旅、というほどの距離ではないですが、一度新野に行ってみますか?」
「えっ?」
「徐庶に会いたがっていたでしょう?彼も貴方に会いたがってました。旅という距離ではないかもしれませんが・・・、初心者には距離的にはいいかもしれません」
「連れて行ってくださるのですか?」

ぱぁ、と月英の目が嬉しそうに輝く。
そんな素直に喜ぶ月英が珍しく、ついからかいの言葉が口から出そうになったのを孔明は堪えつつそっと目を閉じる。

「孔明、一緒に彼に仕えないか?その価値がある人物だ」

徐庶の言葉が脳裏に蘇る。
徐庶は孔明を劉備玄徳の所に誘ってきた。笑って受け流したが、どこか胸に引っ掛かりが残っているのも事実。
劉備玄徳ね、と胸の中で呟く。





 ※



「これがこの道ですよね?」

小首を傾げて確認してくる月英に、孔明は頷く。
新野への旅というには短い道のりの地図を月英に渡して、順路を彼女に任せた。
それを月英は喜び、わざわざ遠回りな経路を選んだり、馬で移動と考えた孔明だったが月英は徒歩を選んだ。孔明は、口には出さなかったが、月英は地図を正確に読むことができることに驚いた。
才女と評判で、実際に高い教養を身につけていることは結婚して知っていたが、実践でも応用できることに少なからず驚いた。

「孔明さまは――・・・」

途中、月英は孔明を見上げながら言った。

「この道を辿って隆中に落ち着かれたのですよね?」
「――もう昔のことですよ」

でも、と何か言いかけて月英は止めた。
昔のことを孔明は話したがらない。聞いても孔明らしくなく曖昧に誤魔化すだけ。
弟妹を連れて流浪し、かなり苦労したらしいがそれについては何も教えてくれない。
それにじれる気持ちがないわけではないけれど、触れて欲しくない傷もあるのだろう、と月英は納得するしかない。所詮自分はお嬢様育ちの苦労知らずなのだ、そう思うと月英は胸が痛んだ。
初めて会った時、

「私も臥龍と貴方を聞いておりましたが、ただの意気地なしに思えますわ」

そう孔明に言った。
今思うと何も分かっていなかったからこそ言えた言葉なのだ。
孔明は苦労して今の生活を手に入れた――。
だから、それを――・・・。

私は――。
私はこの人のことを何でも知りたいのに。

孔明は急に黙ってしまった月英の名を呼ぶと、彼女は上目使いで孔明を見上げてきた。
そんな彼女の後頭部をぐっと押さえて自分へと引き寄せて、口付ける。

「――!!!」
「なんだか物欲しそうに見せたものですから」
「誰か見ていたらどうするんですか?!」
「誰もいないことぐらい分かってますよ」

ふん、と顔を赤らめながら月英は孔明から顔を反らすと、少し走って孔明の先を歩く。
徐庶のいる新野はもう近い。
近づくにつれて孔明の足取りは遅くなっていくのを月英は感じていた。

 ※


孔明!

徐庶に呼ばれて、孔明は軽く手を振って応じ、月英は軽く会釈をした。
駆け寄ってきた徐庶が月英に、

「お久しぶりです。遠かったのでは?」
「旅は初めてなので楽しかったです」

そんなふたりの会話を孔明は聞きながら、周囲を見渡す。
ここが新野城か、と心の中で呟いた後、遠くに怒声が聞こえてきた。

「兵の鍛錬さ」

徐庶がそう言うと月英が、「見れますか?」と言うと徐庶は驚いたような顔をした。
それに思わず孔明は苦笑を洩らすと、

「以前に言ったでしょう?我妻は武芸を嗜むと」
「そうだったな。あとで聞いてみますね」

徐庶の言葉に、月英は嬉しそうににこりとする。
案内された徐庶の執務室から、遠く兵の訓練場が見れた。月英はその様子を夢中になって見ている。そんな月英の後ろ姿を見ていると、

「考えてくれたから来てくれと考えていいか?」

徐庶が言う。それに孔明は首を振った。

「お前がどんな所で働いているのかという好奇心で来ただけだ。妻も旅をしたがっていたから」
「――・・・殿に会えば気が変わるはずだ」
「会う気はない」

きっぱりと切り捨てるように言う孔明に、徐庶は黙った。
そして、一体何を珍しく恐れているのだろう、そう思った。

「徐庶さま!」

月英が振り返って徐庶を呼んで振り返ったが、すぐに孔明と徐庶の間に気まずそうな空気が漂っていることに気付いたのか小首を傾げた。

「どうしました?」

にこにこと徐庶は月英に近づく。

「・・・あの、体格の良い方が、張飛殿ですか?」
「えっ・・と、あぁ、そうですね。奥に関羽殿もいますよ」
「どこですか?!」

あそこですよ、徐庶の指差す先を月英は目線で追う。その時、

「月英殿は、このままでいいと思っていますか?」

徐庶の言葉に、月英は唇を閉ざして、そっと徐庶を見上げた。

「孔明の能力が、この乱世に必要なのです」
「――私は・・・」

私は・・・、の言葉の後を、月英は続けることが出来なかった。その時、何かを感じたらしい孔明が、徐庶を呼んだ。
 


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